インタビュー 35

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第35回となる今回は、復旦大学文史研究院副教授の董少新先生へのインタビューをお届けします。

董少新 (National Institute for Advanced Humanistic Studies Fudan University, Associate Professor, Dong Shao-xin / 復旦大学 文史研究院副教授 董少新)

董少新

―― 先生のご研究の中心的なテーマを教えてください。

  私の研究テーマは、16世紀から18世紀にかけての、中国とヨーロッパの関係の歴史です。これに関しては、カトリックの宣教、貿易、外交使節団といった様々なトピックがあります。ただ、現在私は、宣教師の活動に焦点を当てて、西洋文化が中国にどのようにもたらされたかについて考えています。西洋文化には、西洋医学(これは2008年に出版した本で書きました)、西洋の天文学、地理学、武器などがあります。これらのすべてに関して、その中国への影響と、中国の反応というのが、私が興味を持っていることです。

―― これらのすべてが、宣教師によってもたらされたのですか?

  そうです。ほとんどの西洋文化は、イエズス会士によってもたらされました。つまり、これらの宣教師は、当時、中国とヨーロッパの文化交流の「メディア(仲介者)」であったのです。それゆえ、私の研究の大部分が、宣教師がもたらした文化の影響と中国側のその需要の仕方の話になります。
  しかし、ポルトガル語文献の中国語への翻訳も、私が取り組んでいることの一つです。中国にやって来たほとんどの宣教師は、ポルトガル語で話したり、書いたりしていました。というのも、当時ポルトガル政府が、 Padroado、すなわち東アジアにおける宣教師たちを保護するという権利と権力を持っていたからです。すべての宣教師たち、特にイエズス会士たちは、中国に行く前にポルトガルに行き、ポルトガル語を学ばなければなりませんでした。だから、ほとんどの一次文献は、ポルトガル語で書かれているのです。もちろん、ラテン語やフランス語で書かれたものもありますが、ポルトガル語の文献がその大部分を占めています。よってポルトガル語文献を扱うことは必須なのですが、ポルトガル語を読める中国人研究者はわずかしかいません。だからこそ、ポルトガル語文献を中国語に訳すことはとても意義のあることなのです。
  私は今、Antonio de Gouveaというポルトガル人イエズス会士に注目しています。彼は、Asia Exterma(1644)という本を書きました。この本がその大部分で扱っているのは、中国におけるカトリックの布教の歴史です。私はこの本を、中国語に訳したいと考えています。彼によって書かれた本は他に、古代から清王朝までの中国の総合的な歴史を扱ったものがあります。これもまた、西洋人の視点から見た中国の歴史を知ることができるという意味で重要です。

―― なるほど。このイエズス会士の研究によって、当時の中国とヨーロッパの関係を探ることができるのですね。では、先生がこの時代の中国とヨーロッパの関係に興味を持ったきっかけを教えていただけますか?

董少新

  このトピックは、現代の中国と現代世界をよりよく理解するのに重要だと考えています。現在中国は、多くの問題を抱えています。私たちは、「伝統と近代tradition and modern」、そして「西洋と中国」について論じる必要があります。例えば、日本が西洋文化に直面するとき、日本はそれらをたやすく受け入れ吸収することができるかと思います。しかし中国の場合、そこには大きな問題の数々があります。どのように西洋と接するべきか?どのように自分たちの伝統を保持しようか?中国の人々にとって近代化modernizationとは何か?それは西洋化westernizationなのか?私たちは、これらの問いを深く考えなければなりません。この目的のために私たちは、歴史を遡る必要があるのではないでしょうか。私は、私たちが今まさに直面している問題は、16世紀に始まったと考えています。当時、西洋文化は中国にどのようにもたらされ、中国政府や中国の人々はそれらにどう対応したのか。私たちは、ここから学ばなければならないと思います。

―― 19世紀後半日本政府は、ほとんど疑うことなしに、西洋文化を吸収したように思います。それと比較すると、中国は自分たちの伝統を保持し続けようとしてきたのですね。それは素晴らしいことではないかと私は思います。

  私たちは、西洋諸国と貿易をするし、たくさんの先端科学技術を西洋から取り入れてきました。しかし、私たちは、西洋流の民主主義を受け入れなければならないのでしょうか?西洋の宗教や、西洋の政治思想まで、受け入れなければならないのでしょうか?
  ただ重要な問題は、自分たちの伝統を保持することがいいことなのかどうか、私たちが保持すべき伝統とはどのようなものか、ということです。すべての伝統が素晴らしいとはいえないでしょう。私たちはそのいくつかを選択しなければならないのです。そして、新しい文化を発展させる必要があります。その新しい文化の発展のためには、西洋の考え方を受け入れ、それと伝統を混合させることが重要だと思います。

―― それは、単純な西洋化ではないですね。

  西洋文化のある側面は良いかもしれないけれど、また別の側面は、中国にとっては合わないかもしれない。だから、それらを選ぶ必要があるのです。

董少新

―― 先生は、ご研究としては清王朝に焦点を当てながら、現代中国や現代の中国と西洋の関係についてお考えなのですね!では、どちらの時代が先生のご関心としてはより大きいのでしょうか?

  両方です。私の研究の焦点は、文化交流です。これは特定の時代に制限されることではないでしょう。ただその中で、とりあえず今は、16世紀から19世紀までを中心的に研究しています。というのは、まさにこの時代から、西洋の力がアジアに及び始め、様々な衝突が生み出されたからです。この時代は、グローバリゼーションの第一段階だったのです。

―― 今日の衝突の起源は、16世紀にあったのですね!

  そうです。この時代から、東洋と西洋は直接的に交流を始めました。この時代に、国際市場、西洋的な国家が現れました。ヨーロッパでは、カトリック教会からプロテスタントが分かれました。現代の問題の多くが、その起源を16世紀に持っています。だからこそ私は、この時代について研究しています。
  中国文化は西洋にもたらされ、西洋文化は、中国、日本、韓国に入ってきました。私は、様々な文化がお互いに接した時、何が起こるかについても研究したいと思っています。そして、特に中国と日本に関して、それぞれが西洋文化に接した時の対応の仕方の違いもまた考えてみたいです。


インタビュー後記

  今回の記事は、董先生に英語で受けていただいたインタビューを翻訳したものになります。董先生は、英語でのインタビューということで戸惑う私に対して、非常に分かりやすく説明をしてくださいました。過去の時代のことを考えつつ、常に現代の問題とリンクさせて研究を進めるという先生の姿勢から、多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。(虫賀)