インタビュー 04

森本 一夫 (Morimoto Kazuo/東文研・西アジア研究部門准教授)

森本一夫

―― 先生がいま取り組んでおられるテーマについて教えて下さい。

 いくつかあるのですが、イスラーム教を始めた預言者ムハンマドの一族を称する人々に関する研究が一番のメインです。現在のイスラーム教徒(ムスリム)は、イスラーム教は平等の宗教で、人種といったことにかかわりなく神の下では信徒のみんなが平等だということを強調しています。ですが実際には、ムハンマドの一族と称する人たちが昔から連綿と続いてきています。モロッコの王様やブルネイの王様もそうですし、王様だけじゃなくて乞食もいます。彼らはいろいろな社会層・民族・国にまたがって生活しています。そういう人たちがどのような特別扱いを受けてきたのか、また彼らを他のムスリムから区別してきた言説にはどういうものがあるのか。それから、もっと生々しいことでは、偽物をどうやって防止してきたのか。あるいは、結局は多くの偽物が出てくるのになんでその血統全体が信用を失わなかったのか、といった問題について研究しています。

―― ムハンマドの一族を研究することは、背後にあるムスリム社会を理解することにつながっているのですか?

 それはもちろんなのですが、僕の関心は、イスラーム教だとかイスラーム文明を理解したいというよりは、気恥ずかしくはありますが、人間を理解したいという方にあります。イスラーム研究の流れの中で、「イスラーム」というものは、往々にしてなにか一枚岩的な実体をもつ他者として想定されてきました。イスラーム研究には、イスラーム文明が世界史上果たした大きな役割を理解するため、または西洋中心のものの見方から脱却するためというような目標が掲げられることがしばしばでしたが、これはともに「イスラーム」を究極の対象として理解するためのイスラーム研究ですよね。実は僕も、西洋中心ではないものの見方を求めてイスラーム研究に惹かれるようになった一人です。でも、研究を続けるうちにスタンスが変わってしまいました。もちろん、人間の社会に起こるいろいろな問題の解決の仕方などには、長い歴史の中で培われてきた「イスラーム的」ななにかがあると思います。そうしたことを明らかにしていくのはそれで大きな喜びだし、世界がこれだけ小さくなったいま、とても大切なことです。しかし、そうした違いも含めながら同じ人間の営為として見ていく、人間理解のためのひとつの個性的な舞台としてムスリム諸社会を見ていく、というのが僕のスタンスです。ムハンマド一族の研究も、血統というものをめぐる人間の数ある営為のひとつというつもりでやっています。他者としてのムスリムを理解するためにムスリムを知るのではなく、自分もその一員であるヒトを知るためにイスラーム教・イスラーム文明やムスリムを知るというスタンスは、イスラーム教やムスリムを自分とは決定的に異なる他者とみなしがちな日本や欧米での一般的な認識を乗りこえていく上でも大事だと思っています。

森本一夫

―― なるほど。自分自身非常に新しい観点を学ばせていただきました。先生がそのような視点を持つようになったのはどうしてですか?

 僕が学生の頃、「イスラーム」というのは総じてバラ色のものとして描かれていたような気がします。要するに、色々な制度でがちがちの近代文明に対する、もっと融通無碍なものとして。そしてやっぱり西洋中心的なものの考えからの脱却が謳われていました。僕のような単純な学生の考え方には、イスラーム中心主義のような傾向もはっきり出ていましたね。そんな中で僕はイランに留学したのですが、どうもそれまでのイメージと目の前にあるものが一致しないんです。それまでの、多分に自己都合に由来する観念で相手を切ることは、自分の身体感覚に反していた。あとは、対象を自分と同じヒトとしてとらえるという方向に自然と意識が進んでいったように思います。

―― 先生にとって、ご自身の研究の面白さというのは何ですか。

 ひとつには、いまいったような認識の変化、自分では深まりといいたいですが、それをそれ自体として面白がっているところがあります。あるとき、ある方が、「あなたはイスラームのことを当たり前のこととしてやっている珍しい人だ」といってくれました。これは嬉しかったです。僕は地味な研究論文のようなものしか書いてきていないのですが、それでも分かってくれる人はいるのだな、と。面白さというよりは喜びの話になってしまいましたが。

 あとは、やや専門的なことですけど、ムハンマド一族の研究は10年くらい前までは誰もしていませんでした。どこにでもいて、血統が大事にされているということはよく知られていました。けれど、どこででも出くわすから、かえって当たり前のものとしてないがしろにされてきていたわけです。それを明らかにしていくことは、どこにでも出てくるだけあってじつは他の研究テーマにとっての意味も小さくないわけですから、ちょっとした快感です。もちろん苦しいことも少なくはないですが。

―― 先生のお考えが私には新鮮で楽しかったのですが、最後にこれからの展望を聞かせていただけますか?

森本一夫

 ムハンマド一族の研究とは別に、いま、12世紀半ばにイランに住んでいたある人物をとりあげて、その人やその人の周りの環境でアラビア語の教養がどれだけ重視されていたか、イランの国語であるペルシア語と比べていかに高い威信をもっていたかを調べています。いまのイラン人にとってペルシア語はナショナル・アイデンティティの重要な一部で、それは昔からそうであったに違いないと思われがちです。けれども、僕はあえてアラビア語がどれだけ重要であったかを調べています。イラン人が思い描きがちで、過去にも投影しがちなイラン人像に対して、必ずしもそうではないよ、と指摘したいと思っています。僕のテーマ選びには、なにかみんなに信じられているものに対して、必ずしもそうとは限らないですよ、という視点を提示しようとする傾向があるように思います。展望といえるかどうかは分かりませんが、どうもこれからもそうしたひねくれたテーマにばかり引っかかっていきそうな気がします。

 ムハンマド一族の研究についていえば、この分野の研究をやる人も世界的にみれば少しずつ出てきているので、その人たちとタッグを組んで進めていきたいと思っています。その一歩として、この9月には東洋文化研究所で国際会議も開催しました。そういえば、来年の1月には日本語で一般向けの小さな本も出るので、それを読んでこの問題に関心をもってくれる若い人が出てきてくれるといいのですがねえ(『聖なる家族―ムハンマド一族』山川出版社)。

森本 一夫 プロフィール

略歴

1970年
1992年
東京大学文学部東洋史専修課程卒業
1995年
東京大学大学院人文科学研究科東洋史学専攻修士課程修了
1996年
東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究博士課程中退
1996年
東京大学東洋文化研究所助手
2001年
北海道大学大学院文学部助教授
2004年
博士(文学)(東京大学大学院人文社会系研究科)
2004年
東京大学東洋文化研究所助教授

主著

  • (訳書)モハンマド=ホセイン・タバータバーイー, 森本一夫(訳)『シーア派の自画像―歴史・思想・教義』慶應義塾大学出版会、2007.
  • (編著)森本一夫編著『ペルシア語が結んだ世界―もうひとつのユーラシア史』北海道大学出版会、2009.
  • (単著)森本一夫著『聖なる家族―ムハンマド一族』山川出版社、近刊(2010年1月刊行予定).

キーワード

  • ムハンマド一族、サイイド、シャリーフ、イスラーム研究、アラビア語、ペルシア語