所長挨拶

国際紛争の火種はとどまるところを知らず、自国第一主義を掲げる国が増える中、世界は一段と寛容さを失っているように見えます。こうした時代においてこそ、民族や宗教、歴史や文化を通じて世界を内在的に理解しようとする地域研究の存在意義が問われます。

  東洋文化研究所が太平洋戦争前夜の1941年11月26日に「東洋文化に関する綜合的研究」を目的として創設されたことの意味を、今あらためて振り返ることが必要かもしれません。戦後まもない1948年、仁井田陞教授(中国法制史)は東洋文化研究の方向性について「問題提起の仕方」の重要性を強調し、過去や現代といった時代区分を問わず、「現象を内的に貫く原動力、底流をこそ基本問題とすべきである」(『東洋文化講座2』)と謳い、大学が一般社会と遊離しないように工夫しながら、日本国内におけるアジア理解の土壌を耕そうとしました。時流の変化が激しい今だからこそ、半世紀以上前のこの言葉を噛みしめたいと思います。

  本研究所の研究対象地域は、西は北アフリカを含むアラビア語圏から東は日本まで、北はロシア連邦を含むアルタイ諸語圏から南はインドネシアまで、ユーラシア大陸を中心に広大な範囲を含みます。また時間軸では、二千年前の古代インドや中国から、戦後の東南アジアや現代の米中関係に至るまで長い射程をもちます。

  こうした時間と空間の織りなす、30名を超える研究者が一つの建物に同居するアジアに関する研究環境は、世界でも類を見ないものです。特に文学や美術から、歴史や経済に至る多様な方法論を互いに参照し、時にはぶつけ合うことを通じて、西欧中心で組み立てられてきた知の枠組みに、アジアの視点から揺さぶりをかけています。

  本研究所は、こうした研究による成果を果敢に発信しています。たとえば、2022年度にはGlobal Asian Studiesプログラムを独自に立ち上げました。それは従来のGlobal Japan Studiesを継承発展させたものであり、国際交流基金の支援によるポスドク・フェローの受け入れを介して、アジア研究の地平をアジアから開いていこうとするものです。また、これら訪問研究者らによるシンポジウムなどを介した発信は、本研究所の存在意義をアピールする重要な回路になっています。たとえば、英文ジャーナルInternational Journal of Asian Studies (Cambridge University Press)は、アジアに拠点をおく研究者らの英語発信を励ます旗艦的な媒体です。また、オープン・アクセス出版である The University of Tokyo Series on Asia (Springer Nature) も、良質なアジア研究の出版物として、英語圏読者の高い需要に応えています。

  本研究所は、東洋文化の総合的研究をすすめながら、地域の固有性を明らかにしてきました。その成果をさらに力強く世界に発信するために、外部資金の獲得にこれまで以上に力をいれ、科学研究費や企業・財団などからの支援に加え、公開講座の参加者や草の根の東文研サポーターのご寄付からなる東文研基金も、さらに充実させていきます。こうした新たな財源を既存の土台に加えながら、書籍や論文、ウェブサイトや展示、研修、政策提言などを通じて研究成果を積極的に発信し、さらなる社会貢献を目指します。

  世界が大きく変動する現代において、本研究所は、アジア研究の世界的拠点としての負託に応えるべく、所員の多彩な研究とグローバルな研究ネットワークを軸に、人類知に貢献していきます。

2026年4月 所長 佐藤 仁