インタビュー 12

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第12回となる今回は、当研究所の新任教員特集第一弾として、南アジア研究部門所属の馬場紀寿准教授へのインタビューをお届けします。

馬場紀寿 (BABA Norihisa/東文研・南アジア研究部門准教授)

―― 研究テーマについて教えてください。

馬場紀寿

 スリランカや東南アジアで信仰されている上座部仏教について研究しています。大きくふたつのテーマがあるのですが、ひとつは、古代インドまでさかのぼって、上座部仏教が展開した歴史を辿るというものです。ご存知のように、仏教は紀元前5世紀頃にインドで生まれ、その後アジア各地に広がっていきました。その過程で生じた上座部と呼ばれる系統は、スリランカを拠点として東南アジア大陸部へ伝わっていきました。その全体像を理解するために、まずは古代インドにおける仏教の状況を把握し、その中で上座部仏教が形成されてきた経緯について調べています。

―― 調査はどのような手法で行われるのでしょうか。

 基本的に文献研究ですね。キリスト教の聖書やイスラム教のクルアーン同様、上座部仏教にも正典があります。この正典は、古代インドの言語のひとつであるパーリ語で書かれているのですが、これがスリランカや東南アジアには現地の言語に翻訳されずに伝わった。つまり、パーリ語の言葉が正典の中に保存されたまま、各地に広がっていったんです。スリランカではシンハラ文字で、ミャンマーではビルマ文字で、タイではタイ文字で、パーリ語の写本や刊本が残されています。一方、中国やチベットでは、サンスクリット語から中国語やチベット語に訳された。インドの仏教を研究する上で、古代インドの言葉がそのまま残されているパーリ正典は、非常に価値が高いものなのですね。そこで、古代インドの言葉で残されているパーリ語のテキストを、他言語に訳されたインド仏教の資料やサンスクリットの写本等と比較しながら古代の上座部の姿を立体的に復元していくというのが僕の研究方法です。この作業を通じ、当時古代インドに存在した様々な部派のなかで、上座部仏教がどのような位置にあったかを明らかにしたいと思っています。過去の文献を辿ることによって、上座部仏教を歴史の文脈のなかで捉え直す、とも言えるでしょうか。

―― 関心をもっているもうひとつのテーマとは。

馬場紀寿

 言語と宗教という観点から世界を考察する試みです。世界の歴史を考えるうえで、パーリ語と上座部仏教の関係性は重要な問題を投げかけてくれます。近代以前の世界の文化状況を考えてみましょう。例えば宗教改革以前の西欧では、人々の間で実際に語られている言葉とは別に、ラテン語が知識人の言葉として、また、カトリック教会の公式の言語として用いられていた。同様に、北アフリカや西アジアではクルアーンの言葉であるアラビア語、東アジアでは儒教や仏典の言葉である古典中国語(漢文)、南アジアではヒンドゥー教の聖典言語であるサンスクリット、そしてスリランカや東南アジア大陸部では上座部正典の言葉であるパーリ語が、地域を超えた<聖なる言語>として機能していました。たとえば、東南アジアでは、仏教でも、僧侶の説法等をとおして、本来土着の言語にはなかった抽象的な概念や形而上的な表現などが取り入れられ、現代語にも多く反映されています。この言語と宗教の関係は、近代以前の世界を考える上で、また伝統とは何かを考える上で非常に重要なポイントだと思っています。

―― 先生が感じる研究の面白さとは。

 パーリ語は、言語学的に見るとインド=ヨーロッパ語族のひとつですから、英語やドイツ語、フランス語とも語源を同じくする単語がたくさんあります。また、先ほど述べたように、それが仏典の言葉として、スリランカや東南アジア大陸部でも共有され、生きた伝統として機能している。しかも日本には仏教が入っているから、僕たちが普段使うような概念や言葉にも共通のものが見られるんですね。パーリ語のテキストを読みながらそれらの関係性を辿っていくと、各言語、各地域へと旅行しているような感覚を味わうことができます。イギリスに行ったり、中国に渡ったり、日本に戻ってきたり、東南アジアを駆け巡ったり…目の前のテキストを出発点として、世界を楽しめるのが研究の醍醐味だと思います。

馬場紀寿

―― 研究の射程はアジアに留まらないということでしょうか。

  いわゆる「東洋学」は、オリエンタリズムとして批判されているけれども、同時にアジアの研究こそがヨーロッパ中心主義を壊してきた側面もあったことは忘れてはいけないと思うんですよ。イギリスがインドを植民地にしていた時代に、インド=ヨーロッパ語族が発見されたことによって、ヨーロッパとインドの言語は起源が同じだということになり、ヨーロッパの言語は相対化され、実証的な方法による言語学や宗教学といった新たな研究分野が生まれるきっかけになった。自分たちが使用する言語、あるいは属している宗教が、世界にある多様な諸体系のうちのひとつとして見直されるようになったわけです。世界を自己中心的にではなく公平に見ていこうという姿勢は、自らがone of themにすぎないという視点からしか生まれませんからね。  パーリ語のテキストを読むという僕の研究も、「アジア」や「東洋」という概念を補強していくというよりは、さまざまな領域を横断し、連結していく作業に近い。パーリ語の文献をとことん深く掘り下げていくと、地下水脈ではもっとずっと広い世界に繋がっていることが見えてくる。それは東洋対西洋といった二元論、あるいは東アジア、南アジア、東南アジアといった既存の地理的区分を超える鍵になると思うんです。境界を問い直し、固定観念を壊していくことが研究の重要な役割だとするなら、上座部仏教の研究は単なる地域研究に留まらない大きな可能性を秘めている。伝統を辿ることで地域を超える、深く掘り下げることで世界に広がる…その手がかりとしてパーリ語のテキストを見ていくのが僕の研究の意味だと思っています。