このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第21回となる今回は、西アジア研究部門所属の桝屋 友子教授へのインタビューをお届けします。
―― 桝屋先生はどのようなご研究をされているのですか?
イスラームを主要な宗教とする、あるいは過去にしていたことのある地域の美術の歴史を研究しています。私自身、一番力を入れているのはイランにおけるイスラーム美術ですが、それだけではなくイスラーム時代のスペイン、エジプト、トルコなど、イスラーム美術と名のつくものであれば全てが私の対象地域だと考えています。
私はもともと美術史の専攻だったので最初は現代美術を勉強していたのですが、たまたま大学3年生のとき、当時東京外国語大学にいらっしゃった黒柳恒男先生のペルシャ文学史の授業を取ったんです。その授業のレポートのテーマを決める時に、ペルシャに関することだったら何でもいいですよ、と先生がおっしゃったので、私はペルシャ美術について書いたんです。そこで初めてイスラーム美術に触れたのですが、こんなに美しい美術があったんだってすごく感動したんですよ。
そこで卒業論文では、イランのサファヴィー朝の絵画について書きました。もう少し詳しく言うと、『シャー・ナーメ(王書)』というイランの建国からササン朝までを扱った叙事詩があるのですが、その写本の挿絵についての論文です。サファヴィー朝の前の時代、イランはティムール朝とトゥルクメンの王朝の二つに分かれていました。私が卒論で取り上げたその絵画は、ティムール朝の末期に現れたペルシャ絵画で最も有名な画家であるベフザードの様式と、もっと自然をごちゃごちゃと描くようなトゥルクメンの様式が融合した、神秘的でありながら写実的でもある、ちょっと不思議な絵画なんです。実際に見てみます?(※残念ながらその絵画の写真は著作権等の関係で掲載できません。)
―― わぁ、不思議な絵ですね!色使いがすごく鮮やかで、ちょっと中国っぽい感じもします。
ここに描かれているのは、カユーマルスというイランの歴史における最初の王様です。その王様のもとで動物たちも一緒に平和に暮らしていたという時代を描いた絵なんです。
―― イスラーム美術って人物を描かないイメージだったのですが。
ええ、もちろん宗教的な場では人物や動物が描かれることはなく、文字と幾何学文様、植物文様が基本的に使われます。でも世俗的な王様の宮殿や王様が見るような挿絵入りの写本には人間が描かれていますね。だけどやはり時代や地域によっても絵画に対する態度が変わってくるので、例えばエジプトのマムルーク朝だと後の時代になればなるほど挿絵入り写本が少なくなってきたりもするんです。でも一概にイスラームだから人物を描くことが禁止されているというわけではないんです。
その後、イスラーム絵画の研究をしたいと思い大学院に進学したのですが、日本ではイスラーム絵画を専門に研究する先生がとても少なかったんです。そこで先生方の勧めもあり、アメリカに留学しました。その時たまたま大学院の授業のゼミで、モンゴル政権であるイルハン朝時代のイランの美術について学びました。私はその授業のレポートでタフテ・ソレイマーンというモンゴル人がイラン人に建てさせたお城を研究対象として取り上げ、その建築と装飾について研究発表をしたんです。そのお城には中国の鳳凰や龍のタイル装飾が施してあり、そこには表面がキラキラ光って金属的な輝きを示す「ラスター彩」というイランの技法が用いられていています。このように「イランの技法」で描かれた「中国のモチーフ」が「モンゴル人の宮殿」を飾っていたんです。とても面白い時代ですよね。するとこのレポートの評判がすごく良くて(笑)、続けてこれをテーマに博士論文を執筆しました。
―― その時代、モンゴル帝国はイランの方まで広がっていたんですね。
モンゴル帝国はもともと今の中央アジア、外モンゴルから来ています。第5代大ハンであるフビライの時代に首都が中国の大都(現在の北京)に移り、そこが宗主国になります。だからイランやロシアにいるモンゴル人も中国に君臨した王様が一番上だと思っている。彼らは絵画も中国のものが一番だと思っていたので、イルハン朝時代やティムール朝時代のイランは中国の絵画をたくさん輸入して、自分たちで一生懸命模写したりしているんです。先ほど絵画を見て、「中国っぽい」っておっしゃいましたよね? それはこのような時代背景があるからなんですよ。思いのほか中国とイランの関係って緊密なんです。一方で、イスラーム国としてのイベリア半島やシチリア島の存在もあったので、イスラームとヨーロッパの関係も密接。貿易も盛んでした。だからそれらの真ん中にあるイスラーム地域の美術を研究して、周りの地域との繋がりを知りたいと思っているんです。現在のイスラーム美術史研究って中東の国々の中でも「トルコ美術史」や「イラン美術史」のように現在の行政単位で区切ることが多いんです。でも昔はもうちょっとぼんやりと広く「イスラーム美術史」というものが存在して、大きな視点で見ていくとそれぞれの地域のイスラーム美術がどのような影響を受けて成立したものなのかが分かってとても面白いんですよ。
―― でもイスラーム圏ってすごく広いですよね!
そう、とても広いし、時代も7世紀から19世紀くらいまで見なくてはいけないので本当に大変(笑)。美術と言っても建築、絵画、陶器、金属器、テキスタイルや絨毯など研究対象も様々。イスラーム美術史って美術史から見るとマイナーだし、イスラーム史、東洋史から見ても美術史だからマイナーなんだけど、時間的・空間的にカバーしている範囲がすごく大きいんです。それにまだイスラーム美術史は後進の美術史なんですよ。世界的に見ても他の研究分野より研究者が少ないし、まだ分からないことだらけ。大作と言える作品でさえ、まだ確実にわかっていない部分がすごく多いんです。でも、だからこそ新しい説をどんどん出すことが出来るし、発掘で新発見があり今までのイスラーム美術史がぱっと変わってしまうということもあるんです。それがイスラーム美術研究のとてもやりがいのある点です。
それ以上に私は「美術」というものが大好きなんです。やっぱり美術って素直に「美しい」って思えるし、「美」というものに関して人間誰しも共通に感じるものがあると思うんです。例えば、ある土地を知ろうとしても言葉が分からないと自分には理解できないと思って遠ざけてしまうこともありますよね。でも美術を見れば頭で難しいことを考えなくても、一瞬にして目からダイレクトにその土地の文化が入ってくるし、その土地に親しみが湧いたりするじゃないですか。それが美術の魅力だと思っています。
―― 話は変わりますが、女性研究者の先輩として何かアドバイスをいただけますか?
そうですね、特に私自身、女性であるということで研究する上で苦労したことはないのですが、2年程前に総長補佐になり、そのとき男女共同参画担当になったんです。思いのほか東京大学には今でも女子学生が少ないんですよね。私が学生だった頃とほとんど割合が変わっていないのです。その中から研究者として進んで行く方はもっと少なくなります。そこで男女共同参画室は、女子学生にもっと勉強をしてほしい、さらには勉強を続けて研究者になってほしいという思いで男女共同参画運動をしています。現在の日本の状況だと、女性はどうしても結婚をすると育児や家事の負担が大きくなりやすいというハンデがあるのですが、最近はそれに対する社会的な理解が高まってきています。大学側も女性研究者をもっと積極的に取りたいという流れになってきていますし、東京大学にも教職員や学生などが利用するための保育園ができたんですよ。このような男女共同参画への取り組みが認められ、東京大学も「くるみん(事業主が策定・実施した従業員の子育て支援の為の行動計画の結果が、一定の要件を満たしていることを認定する厚生労働省により定められたマーク)」を取得しました。また、東京大学の安田講堂内に「女性研究者支援相談室」というものがあるんです。もし女性研究者として悩みを抱えたり、相談相手がほしいと思うことがあったら、是非ご利用下さいね。
インタビュー後記
桝屋友子先生は、とても柔らかい雰囲気を持った笑顔の素敵な先生でした。美しいイスラーム絵画をたくさん見せていただき、美術館に行ったかのような楽しい時間を過ごしました。にこにこと楽しそうに語る先生を見ていると、先生の美術を愛する気持ちがひしひしと伝わってくるようでした。(石原)