インタビュー 17

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第17回となる今回は、汎アジア研究部門所属の池本 幸生教授へのインタビューをお届けします。

池本 幸生 (IKEMOTO Yukio, Professor/東文研・汎アジア研究部門教授)

池本教授。ASNETの部屋にて

―― 先生はASNETの副ネットワーク長を務めていらっしゃいますが、その仕事の内容について教えてください。

 ASNETは「日本・アジアに関する教育研究ネットワーク」の通称です。ASNETは、東京大学において日本やアジアと接点を持つ教育研究に携わる研究者のためのネットワークとして2001年に生まれました。今年度から東京大学の機構となり、組織も変わりました。ネットワーク長が古田元夫先生、副ネットワーク長が私で、それに准教授の古澤拓郎さん(写真2枚目)、助教の安田佳代さんの4人の体制ができました。古澤さんは経験が長く、私は古澤さんからいろんなことを教えてもらっているところです。ASNETの部屋は、医学部一号館の4階にあり、古澤さんと安田さんと三人で仲良く仕事をしています。静かな、いい環境です。

 主な仕事ですが、情報発信のためのメールマガジン(まだ購読していないなら、ぜひ登録してください)、「日本・アジア学」教育プログラム(冬学期が始まりますので、学生の皆さんはぜひ登録してください)、「日本・アジア学研究者」データベースなどがあり、今年度からは若手研究者が研究を発表する機会を作るために東洋文化研究所との共催でセミナーを開催しています。毎週木曜日の午後5時から東文研一階ロビーでやっていますので、ぜひ覗いてみてください。また、幅広い研究者が集まる場として「アジアの食文化とグローバリゼーション」談話会をAGSと共催しています。この他、ASNETを活用して、研究を促進する計画も立てています。私自身は、「日本・アジア学」教育プログラムのひとつとして、「アジア研究のフィールドワーク」という授業で、学生をベトナムに連れて行って、フィールドワークの実習を行なうことになっています。

―― ところで、先生御自身はコーヒーの研究をなさっていますね。この部屋の家具もコーヒー色でそろえられているのですか。

いろいろ集めてきただけで、結果的にそうなっていますが、とても気に入っています。コーヒーの木も10本以上あります。昨年の2月初めには花も咲き、8月末には収穫できました。生豆で20グラム収穫できました。困ったのが、ワタカイガラムシの繁殖で、農薬を使いたくなかったので、ひとつひとつ手で取ったのですが、それでは追いつかなくて、結局、カットバック(根本の方で切ってしまうこと)して、やり直しました。有機農業がいかに大変かということを実感しました。

コーヒーの研究を始めて10年以上たちます。コーヒーサロンという一般向けの講演会を2ヶ月に1回程度開いていて、今、22回まで来ました。5年間も続いています。8月には岐阜県の各務原でも開催しました。呼んでいただければ、いろいろなところで開催したいと思っています。

コーヒーサロンの大きな目的は、美味しいコーヒーを将来も飲み続けられるという「サステナビリティ」について広く知ってもらうことにあります。良い状態が続くというのがサステナビリティの意味で、そのためには、まずコーヒー生産者がまともな暮らしができなければなりません。ちょうど2000年代の初めにコーヒー価格が暴落し、コーヒー農民の貧困問題が深刻化し、「コーヒー危機」と呼ばれるようになりました。その状況に対処するために、フェアトレードや様々な認証制度が始まりました。環境を意識したものもあります。サステナビリティのためには、流通や消費者の役割も重要です。コーヒーを通して「持続可能な発展」のあり方を考えるというのがコーヒーサロンの大きなテーマであり、そういう意識を持った人たちが、毎回、50~70人くらい来てくれます。

研究しているとコーヒーの生豆のサンプルも増え、それを飲むために、自分で焙煎しています。最近では、ムラなく上手に焙煎できるようになりました。もともとコーヒーが好きで、1970年の大阪万博のとき(当時、中学2年生でしたが)、混んでいるパビリオンを避けて、ブラジル館でずっとコーヒーを飲んでいたのを思い出します。

―― 先生はもともと所得格差や貧困の研究をされていましたが、どうしてコーヒーの研究を始められたのですか?

ASNET 古澤先生

直接のきっかけは、ベトナムの中部高原の少数民族の貧困問題です。1990年代の終わりにJICAのプロジェクトでこの研究を始めたのですが、当時、日本で貧困問題をまともに研究していた経済学者はほとんどおらず(今でも貧困問題は経済学者には人気のない分野ですが)、私が担当することになりました。そして、中部高原がコーヒーの大産地だったわけです(ベトナムは今、世界第2位のコーヒー輸出国です)。最初に現地に行ったのが1月で、コーヒーの花が一面に咲いていたのは感動的でした。その後、貧困研究の看板をコーヒー研究に架け替えたというわけで、貧困研究は、本来の研究テーマとして今も続いています。

ベトナムのコーヒーを研究していて困るのが、ベトナムがロブスタの生産国だということです。ロブスタとは、主にインスタント・コーヒーに用いられる種類で、味はアラビカに劣るとされます。どうしても、「ベトナムのコーヒーは不味い」というイメージで語られることが多いのですが、ベトナムコーヒーの評価を高めたいというのが現在の目標で、かつてのコーヒー文化を復活させて、それによって少数民族の村おこしもできないかと考えています。そもそも不味いと思われていたものが、手を加えることによって美味しくなるということはよくあることで、ベトナムのコンデンスミルクをたっぷり入れるコーヒーの飲み方はその一例だと思います。どうしたらベトナムコーヒーを美味しく飲めるかが、私の食文化の研究テーマになっています。

―― 先生は、貧困を研究されるときに、貧困は所得で測るべきではなく、アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチを用いるべきだと主張されていますね。

少数民族のような異質なグループが含まれる場合、所得だけに注目していたのでは見落としてしまうことがたくさんあります。例えば、所得を増やすために、少数民族の文化を破壊してもよいのかという問題です。「私たちが貧しいのは、私たちの文化が後れているからだ」と少数民族の人に言わせるような発展のあり方は望ましいとは言えません。人の暮らしの良さは、所得だけで測れないのは明らかなのに、経済学者の間では今でも所得だけを評価基準にする傾向が強いですね。所得にこだわるのは経済学者に限りません。日本のGDPが中国に追い抜かれるというナンセンスな議論を真剣に議論している。所得で評価して上位にくることが日本の「優秀さ」を示していると思うような人たちにとって、日本的経営のように「日本の成功体験から学べ」という議論をするためには日本が一番でないのは都合が悪いのでしょう。そういう議論に途上国の人たちは心の底では反発していて、「またか」と思っている。ブータンの「幸福指数」はそういう先進国の傲慢さに対する挑戦だと見るべきだと思います。

私の議論は経済学とは相性が悪いのですが、所得に代わる評価基準を求めている他分野の人たちとは非常に相性がいいようです。人類生態学の渡辺知保先生とはベトナムで健康調査を一緒に行ないました。血圧を測ったりしたのは楽しい経験でした。医者と見られることと経済学者と見られることの眼差しの違いを実感できました。現在は、京都の総合地球環境学研究所の石川智士先生の「東南アジア沿岸域におけるエリアケイパビリティーの向上」というプロジェクトで、持続可能な発展のための指標作りにケイパビリティを応用するという研究をしています。 池本研究室のコーヒーの木

―― 先生にとってアマルティア・センの『不平等の再検討: 潜在能力と自由』(岩波書店,1998年)を翻訳されたことは大きなきっかけになったということですね。

出版されたのは、ちょうどアマルティア・センがノーベル経済学賞を受賞した後でした。翻訳した当初は、今、考えれば、その内容や意義をほとんど理解できていなかったように思います。翻訳した後、ゼミで何年間も取り上げ、講演会などでも引用し、何度も読み返し、ベトナムの貧困問題に応用してみてやっと分かってきました。ケイパビリティは「潜在能力」と訳されることが多いのですが、「経済を発展させるために人々の潜在能力を活用しなければならない」という本末転倒の解釈が多いのには驚きます。我々の究極の目的は経済成長にあるのではなく、人々の暮らしを良くすることにあるというセンの主張を全く理解しないで引用したり、批判したり・・・、そういうことが多過ぎます。間違った本をたくさん読むよりも、信頼できる本をじっくり読むべきです。

―― それが、先生が最近、翻訳に熱心な理由ですか?

そうです。例えば、ウィルキンソンの『格差社会の衝撃』(書籍工房早山、2009年)は、不平等が健康を害することを疫学的に示した本です。経済学者の不平等論の中に健康への悪影響は出てきません。不平等が経済を活性化させたとしても、人々の健康を損なうのであれば、経済だけを優先するわけにはいきません。

今、アマルティア・センのThe Idea of Justice(正義のアイデア)を翻訳していますが、そこにはアダム・スミスの『道徳感情論』がしばしば引用されています。その日本語訳を見ると、細かいことに正確であろうとして、スミスが何を言っているのかを理解するのが非常に困難なことがあります。その解釈を巡って研究者が研究する。つまり、研究者のための翻訳になっているかのようです。私は、翻訳の目的は、著者の意図をできるだけ正確に多くの人に知ってもらうことにあると考えています。大学受験ではないのだから、文法的に間違っていると指摘されたとしても、内容が正確に伝わっているならそれで構わないと思います。

センのThe Idea of Justiceは、経済学者であり哲学者でもあるセンの正義についての考え方の集大成であり、センの考え方の全体像を知るのにいい本だと思います。最近、マイケル・サンデルの「正義論」が注目されていますが、センの議論と比べてみるのも面白いと思います。アジアという視点から面白い点は、アショーカ王や聖徳太子の話やイスラムの寛容性など、インド人であるセンならではの視点が強調されているということです。単純でないものを単純化し過ぎる間違い、完全でないものを完全であるかのように追究することの間違いは、我々もしっかりと心に留めておくべきだと思います。


インタビュー後記

今回からインタビューを担当することになった石原美里と申します。インドの古典文学を研究する大学院生です。池本先生は初めてのインタビューでとても緊張していた私を温かく迎えて下さり、一緒にインタビューの段取りなどを考えて下さいました。本当に優しくご指導いただき感謝しております。美味しいコーヒーとお菓子までご馳走になってしまい、私にとって非常に楽しい初インタビューとなりました。

池本 幸生 プロフィール

略歴

1956. 6
生。
1980
京大経卒。
1993
京都大学博士 (経済学)。
1980
アジア経済研究所入所,
1987
海外派遣員 (タイ国チュラロンコン大学社会科学研究所,1989 まで),
1990
アジア経済研究所退職,京都大学東南アジア研究センター助教授,
1993
東南アジア研究センター・バンコク連絡事務所駐在 (94 年まで),
1998
東文研助教授,
2002
同教授。