このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第6回となる今回は、当研究所西アジア研究部門所属の鈴木 董教授へのインタビューをお届けします。
―― 現在の研究テーマと興味ご関心についてお聞かせ下さい。
基本的にはイスラーム圏の研究、特にトルコのオスマン帝国時代の研究を専門にやっています。ただ、オスマン帝国に興味を持ったのは、より大きな2つのテーマに興味があり、それをやるためにトルコを選んだのがきっかけでした。1つのテーマは、大航海時代を境にしてどうしてアジアとヨーロッパの力関係が逆転したのかということです。これに興味を持ったきっかけは小学校の高学年の時に、この研究所の大先輩であられた泉靖一先生の「インカ帝国」という本を読んだことでした。非常に栄えていたインカ帝国が、たった一握りのスペイン人に滅ぼされてしまったのはなぜか、またより一般的に大航海時代をきっかけとして、ヨーロッパよりもはるかに繁栄していたアジアが次第に西欧に支配されるようになったのはなぜかに興味を持ったのです。もう1つは、その中でアジアがヨーロッパに対抗する動きが始まったのですが、その動きの中でなぜ日本が先陣を切り、自己変革を遂げることができたのかという点です。その自己変化の過程がどのようなもので、それが進行する際にどのような条件があったからそうなったかにとても興味があったのです。
―― トルコについてはどのような観点から研究してこられたのですか。
関心の中心は、比較史・比較文化ですが、特に広い意味での政治現象に興味があったので、政治の切り口から接近してみようと思いました。実は、近代西欧から受けた衝撃に対抗する際の、最初の試みは政治改革なのです。そこで、とりあえず政治に焦点を絞って考えてみたいと思いました。その際、西洋の衝撃に対抗して自らを守るためにアジアの人々が自己変革を図ってきた過程を知るためには、その出発点で、どんな人たちがどんな形で生きていたかを知らなければいけないと思いました。そして、日本の場合と比べるために、まず現代トルコの前身であり、同時にイスラーム世界最後の帝国であったオスマン帝国の、13世紀末から18世紀末までの前近代の歴史を調べてみようと思いました。その期間にオスマン帝国においてどんな人たちが国を立ち上げ、国を担っていたか、そして国が発展していくにしたがって中心的な政治の担い手がどう代わっていったのか。また、西洋の衝撃に対応する時に、どのようなマンパワーの品揃えがあったのかを研究してみようと思い、前近代のオスマン帝国の政治エリートがどう変遷したかをテーマに修士論文を書きました。博士課程に進学した後、是非トルコに行ってみたいと思い3年ほどイスタンブール大学に留学しました。そこで古典トルコ語も手書きの写本や文章も読めるようになり、勉強していくと視野も広がっていきました。
オスマン帝国はアジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸のつなぎ目に広がっていて、様々な民族・文明の去来する土地でありました。そのように非常に不安定な土地であったにもかかわらず、6世紀半近く存続したのです。なぜ存続できたかというと、それはやはり非常にユニークで強力な組織を作っていたからだと思うようになりました。その組織の伝統があり、組織を担う人材が育っていて、その中で非常に高度なソフトの組織技術が発達していたのです。技術としてのタイプは違うけれども、それを土台にして近代西洋の組織技術を受け入れたのだと思うようになりました。そこで、エリートの問題に関心を絞りながらも、オスマン帝国の支配組織の戦略的要点を担っている支配エリートの変遷から、その背後にある組織の展開過程を追ってみたのです。
―― 先生がご自身の研究で面白いと思うことは何ですか。
オスマン帝国の中を見ると、そこには全然違う宗教、宗派、言語、民族、文字があり、それゆえに暦も、お祝いの日も、お祭りも全く違うわけです。さらに食べていいもの、飲んでいいものも違い、そういう人たちがどうやって集まって住んでいたかを見るのは非常に面白いですね。私たちが見たことのない世界ですから。それから、そういう人たちがいる非常に広い世界を、どうやったら緩やかにまとめることができるかというノウハウを見るのがとても面白いのです。日本人はそういう世界を見たことがないからこういうことは苦手なのです。そういう世界を知っていると、国を超えたネットワーク作りが上手なのです。友達の友達は友達で知り合いの知り合いは知り合いだというシステムで、人のネットワークが国境も地域も越えて繋がっていくのです。
これから国際化の時代に一番必要なのは、多文化共存、つまり違う人たちとどうやってやわらかに付き合っていくノウハウです。個人的な繋がりの連鎖によるネットワークを作って、遠くに離れている人たちとも繋がり、そのネットワークがいつでも動いているような世界を築く方法を身につけることが大切です。オスマン帝国の研究をする中で、何らかの共通要素を通じてネットワークを張っていく方法が見えたのは非常に面白かったです。
―― 先生のこれからの研究の展望を聞かせて頂けますか。
最初の出発点の、大航海時代以降のアジアとヨーロッパの力の逆転の問題はやっぱり追求したいですね。そして、21世紀は逆にアジアがインパクトを与えていく時代になりますから、それを目の当たりにしながら西洋の衝撃に対抗するアジアの人々の自己変革の歴史を追求してみたいのです。
それからやはり、日本がどうして先陣を切れたかという問題は、もう一度考えてみたいと思うのです。ですから取り敢えずは、今までやってきた、独自のムスリム・トルコ・モデルを主として社会が発展してきた18世紀末までの時代のオスマン帝国の研究を総括するのが当面の課題ですね。そこで西欧の衝撃に対応する主体がどう形成されてきたかがかなり見えてきているので、それが18世紀の末から20世紀の初頭までの間に、実際にどう対応して、どう自己変革を進めていったかの過程を本格的にやりたいと思っています。さらに、そこで得たものを踏まえて、できれば東に回帰したいのです。
また、組織を担っているのが文化を担っている人間であるがゆえに、組織が同じ性能であったとしてもそれぞれに癖が出ると思うのです。その癖によって、なんとなく肌触りが違うのです。それを比べることができるような一般的な枠組みが作れたらと思っています。若い頃にはそこまでは考えが進んでいなかったので、オスマン帝国のエリートの分析をやって、エリートの特徴から組織の在り方を引っ張り出して、東と比べられないかと思ってやっていました。しかし、段々視野が広がって、本も人類学だとか民族学、社会学、経営学まで読むようになって幅も広がり、新しい展望がいくつか出ているように思うのです。それも踏まえ、これまでの研究によって開けてきた展望をふまえて、もっと普遍的なものを捉えるシステムを作れないかと考えているところです。