―― 先生の研究テーマについて教えてください。
専門は中国文学、特に明末清初江南地方の文学を中心に扱っています。明清といえば、それまでの文語による伝統的な文学ばかりでなく、通俗的な小説や歌謡が花開いた時代です。『三国志演義』や『水滸伝』等の話が、現在われわれが読んでいるようなかたちにまとまったのもこの頃のことでした。「普通の人たち」が文学作品に登場し、あるいは彼らが読者として面白がるような作品が、印刷出版というメディアを通して、たくさん世に送られはじめたわけです。現在は、冒襄(ぼうじょう)という文人が早世した側室の思い出を書きつづった『影梅庵憶語(えいばいあんおくご)』という作品についての研究に没頭しています。
―― この作品に注目したきっかけとは、何だったのでしょうか。
学部の卒業論文以来、やはり明末の蘇州で活躍した馮夢龍(ふうぼうりょう)という人物とその作品について研究していたのですが、彼が残した作品の中では妓女(芸妓)という存在が重要な役割を担っているんです。その妓女について調べていく過程で、冒襄の『影梅庵憶語』に出会い、興味を持ちました。というのも、その亡くなった側室というのがもともと妓女だったので、当時の妓女の生活のようすを知るうえでとても良い資料だったんですね。妓女というのは当時、一流の文化人であって、『影梅庵憶語』には、彼女といっしょに詩を鑑賞した、お香を楽しんだ等といった思い出が綴られています。最初は調査目的だったのですが、いざこれを読み始めてみると、文章そのものが素晴らしい、さらに作者である冒襄自身も大変面白い人物だということが分かってきて…芋づる式にどんどんはまっていってしまったという感じです。
―― 芋づる式、といえば、先生はご著書でも、作者だけではなくそれぞれの人生、あるいは社会状況から立体的に時代を書き起こす、という手法をとっていらっしゃいますね。
そうなんです。例えば馮夢龍でいえば、たしかに短篇白話小説集の「三言」が有名ですが、けっして「三言」だけを書いていたわけではないし、さらに、ひとりの人間が、1日24時間、あるいは1年365日、文章ばかり書いていたわけでもないでしょう。彼らが暮らし、生きていた世界の全体をつかまえたいと思っているんです。馮夢龍の場合、一つには彼が携わっていた当時の出版事業についても知らないと、その作品の意義や面白さを理解できないのではと思っているわけです。妓女や科挙といったテーマもそうですが、この時代の江南の全体的な社会的文化的背景について見ていきたい。そして、そこからまた人物、作品に戻ってこようというわけです。
さらにいえば、これからは、より古い世界にも帰っていく必要があると思っています。漢文の授業で習うような、いわゆる古典的伝統的な文学世界とこの時代がうまく繋がるといい。明清時代の知識人は、もちろんそれ以前の作品を踏まえたうえで自分たちの文章を残しています。例えば冒襄は、杜甫が好きで、彼には、杜甫の詩を踏まえて作った詩がたくさんあるんですね。冒襄が何を考えていたかを知るためには、杜甫にまで遡って考えてみなければいけない。視点は冒襄に定めながらも、冒襄や当時の知識人たちが見ていた古典とは何だったのか。そんなことも考えていきたいと思っています。
―― 作品、人物という展望台から、同時代の社会、さらに歴史全体を見はるかす、ということになるのでしょうか。既存の文学研究の枠を超える広がりがあるように感じます。
僕は、大学院を出た後、東文研の助手をやっていたんですが、当時あった助手会という集まりで馮夢龍の小説について発表をしたことがあるんです。そうしたら、まったく違う分野の人から「こういうのを『小説』っていうんですか」なんて聞かれたことがあって(笑)。中国文学の業界では、「明代の小説」なんて、当然のようにいっているのですが、考えてみればなかなか本質的でこわい質問ですよね。こんなふうにまったく違う観点から当たり前だと思われていることを問い直す機会を得られたのが、とても良かったと思っているんです。文学部の世界は、文学なら文学、哲学なら哲学と、それぞれ棲み分けがはっきりしがちです。僕が進めてきた出版や科挙についての研究も、どちらかといえば歴史専攻の仕事かもしれません。でも、東文研という環境で色々な話を聞いて刺激を受けているおかげで視野を広く保てているというところはあるような気がします。これからの東文研についても、こうした良さを活かしていければと思っています。お互いのフィールドに踏み込んで話ができる機会を、研究所としてもっと作れればいいですね。
―― そのなかでも、文学研究者という立ち位置が揺らぐことはないのでしょうか。
中学生くらいのとき、はじめてテレビの中国語講座を視て、意味は全然分からないけれど綺麗な言葉だなあと思った経験があります。それが中国文学という世界に入ったきっかけの一つです。今度の『影梅庵憶語』に関しても、その中に出てくる制度等の背景についてはもちろんきちんと調べるけれど、やっぱり決定的にこの作品にひかれるのは、彼が亡くなった側室を悼み偲ぶその気持ちが痛いほど伝わってくるからです。最終的には文学少年といいますか、文学青年といいますか、そんな立場でいたい。背景や周辺を攻めていくのは、決して遠回りではなく、文学作品を本当に深く理解するためにもっとも必要なことなんだと僕は思っています。