インタビュー 07

橋本 秀美 (Hashimoto Hidemi/東文研・東アジア第二研究部門准教授)

―― 先生の現在の研究内容や興味・ご関心についてお聞かせ下さい。

橋本秀美

 研究というと難しいことのようですが、私は単に漢語の本が好きなんです。読むのも好きだし、作るのも好き。内容で言えば、読む方では、経学―特に礼学のものを中心とし、作る方はもう少し幅広く古典文献を扱っています。仕事として言えば、読むのは一人でする仕事、作るのは多くの人と共同で作業しています。

 本当に自分自身の仕事として追求したいのは、一人でする読む仕事です。以前、倉石武四郎という先生が、《儀礼疏考正》という本を書かれました。1930年ころの仕事ですが、唐代の《儀礼疏》という本を読んだ記録で、現在までこれを越える仕事は有りません。私は、学生時代、自分で《儀礼疏》を読んでいましたが、その際《儀礼疏考正》の素晴らしさを知りました。倉石先生のような読み方をすると、本当に一字一字が生きてくるんです。我々の読書というのは、本の中の一字一字の漢字に魂を吹き込んで、血を通わせて、本の蔭に眠っていた本の精神を蘇らせる作業です。千年以上眠っていた文字が、息を吹き返して踊り出すのを見るのは、たまらない快感です。しかし、こういう仕事は、時間がかかりますし、一人で長期に亘って没頭する必要があるので、三年ぐらい監禁されるのでもないと、なかなか難しい。何とか死ぬまでに、《儀礼疏》をきれいに整理したいと思っていますが、現在は中断しています。でも、私が本当に自分の仕事としてやり遂げたいと思っているのは、これが第一です。

―― 先生はなぜ中国の漢語の本に興味を持つようになったのですか。

 大学に入って習った中国語は、自分の性に合いました。一方で、大学の講義には、学問って何なんだ、勝手なこと言っているだけか、という疑問を感じました。中国には経典が有り、二千年以上に亘って、エリート中のエリートたちが、よってたかって頭を絞ってその経典を研究してきました。だから、中国伝統の経典研究の学問を覗いてみよう、と思ったわけです。人類の学問に意味が有るのだとしたら、中国の経典研究は面白いに違いない、ということ。でも、そういう伝統的経典研究の本の中でも、基本中の基本だと言われる唐代の「疏」と言われる本を読もうと思ったら、全く読めない。それで、何とか読めるようになりたい、という一心で勉強しました。勉強している中に、少しずつ読めるようになってきましたが、そうすると、昔の人も実はちゃんと読んでいない、というのが分かってきた。どうしてか、ということで、学術史的な問題にも関心を持つようになりました。しかし、それよりも、「疏」をちゃんと読むこと、ちゃんとした読み方を皆に知らせること、の方が緊急に重要です。

橋本秀美

―― なるほど、では、先生にとって、中国の経典を研究することの面白さとは何ですか。

 私が読むことによって、蘇る字が有ります。救える字が有ります。私が読むまで、それらの字は無視され、誤解されて、半分死んだ状態なんです。本が私を待っている、字が私を待っている、だからやめられません。数年前に《礼書通故》という本の整理にも参加しましたが、その中で私が書いた校勘記は、完全なものではありませんが、少なくとも後半以降はかなり責任を持って人に見せられるものです。私が本を作ることによって、この本は皆のものになっていく。これはうれしいことですね。これも本が生きるということです。読まれない本なんて、本じゃないです。

―― 本を生かしていくという発想はとても素敵ですね。私にとっては新鮮な感覚です。では、そんな先生の今後の展望をお聞かせ下さい。

 《求古録礼説》のきれいな本を作ること、これは私の師匠の仕事なので、完成させないではあの世で師匠に会わせる顔が無い、という代物。《儀礼疏》のきれいな本を作ること、これは私のライフワークですか。出来れば、更に《儀礼正義》のきれいな本を完成させ、《儀礼集説》に疏を書きたい。この一生では、全部は無理でしょうかね。その時は、生まれ変わってからやります。これは、自分一人の仕事です。

 皆でする仕事は、予定が山積みです。まず、尾崎康先生の《正史宋元版の研究》の増訂中国語版を完成させなければなりません。この本が出れば、中国の版本学の水準を一気に引き上げることになります。更に、研究所所蔵の《儀礼経伝通解》正続を影印出版し、同時に楊復の《儀礼経伝通解続》を整理出版するのも緊急の仕事です。楊復の《儀礼経伝通解続》は、一昨年三島海雲記念財団の援助を得て、静嘉堂に通って筆写してきたんですが、これも数百年間埋もれていた本です。何だかレスキュー隊みたいになってきました。でも、単に数百年読む人がいなかった、というだけではなくて、その内容が極めて重要だから緊急に整理する必要が有るんです。

橋本秀美

―― 本当に息つく暇がなさそうですが、何か一貫して意識なさっていることはありますか。

 基本的に重要で本当に好い本を、きれいな、つまり内容が良質で、編集が行き届いて、使いやすくて安い、可愛い本にする、ということです。そのような本を世の中に出して、きれいな本でみんなの書斎を埋めたい、というのが私の願いです。今の中国には、醜い本が多すぎる。私がこれからの一生で10部か20部も出せれば、他にもやってくれる人が出てきて、私の願いが徐々に実現していくのではないか、と思っています。皆さんも、醜い本は極力買わず、きれいな本を買うようにして下さいね。本は作るだけじゃ駄目ですから。作る人が居て――編集者が居て、印刷・製本する人が居て――、発行・小売が有って、読者が買って読む所まで、全部揃って一つの本が成立するんです。きれいな本で書斎を埋め、お気に入りの本を手塩にかけて育てる、というのは、いい趣味だと思いませんか? そういう人が増えたら楽しいだろうな、と思うんです。

橋本 秀美 プロフィール

略歴

1966
1990
東京大学文学部中国哲学専攻卒業
1994
東京大学大学院人文系中国哲学専攻修士
1999
北京大学中文系古典文献専攻博士
2000
東京大学東洋文化研究所助教授
2004
北京大学歴史系副教授
2007
東京大学東洋文化研究所准教授