インタビュー 40

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第40回となる今回は、東アジア第二研究部門所属の 板倉 聖哲 准教授へのインタビューをお届けします。

板倉 聖哲 (ITAKURA Masaaki, Associate Professor / 東アジア第二研究部門 准教授)

板倉 聖哲

―― 中国絵画を中心に扱っておられる、現在のご研究を始めるきっかけを教えてください。

  学部三年生で美術史に入ったときにやりたいと思っていたのは日本絵画史でした。『伴大納言絵巻』とかが好きで、平安時代の絵巻物を研究したいと思っていたんです。僕の祖父も父も書家で、そういう意味で中国の文化にもともと関心はあったんですが、一番のきっかけは、最初の師である戸田禎佑先生の影響でしょう。先生が提唱されていた「模写性」という概念に当時感銘を受けまして。実は中国絵画って、有名な画家の名前を冠した作品はけっこう多いんですけど、本当にいいものはほんの一握りなんです。本当にいいものを、自分で振り分けながら、それ以外のものがどれほど有効であるかもある程度考慮しながら、改めて歴史の語り口を再構築して、各々の絵画をその中で再びどう位置づけていけばいいのかを考えるという作品の見方、これは僕がそれまで思っていた「作品を見る」ことと全く違って・・これを教えてくださったのが戸田先生でした。そもそも中国絵画と日本絵画の関係って、親と子みたいな関係じゃないですか。だから、日本絵画を中国絵画との関係の中で位置づけなければならない、中国絵画をやらないと日本絵画も分からないという教えから、まず中国絵画の研究を始めました。

―― 先生のご論文の一覧を拝見すると、中国絵画はもちろんなのですが、日本絵画や韓国絵画を扱ったものも多い印象を受けました。ご専門は中国絵画といっても、日本・韓国絵画との相互関係や、大きな流れの中における中国絵画の位置づけを考えるということがご研究の出発点からすでにあったのですね。

  タイトルだけを見ると、いろんなことをやって揺れ動いているように見えるかもしれませんね(笑)。でもすべて繋がっているんです。ある作品、特に南宋時代の絵画であれば・・これは中世以降の日本絵画(特に室町時代)にとって「古典」に相当します。様々な人たちが一つの作品をめぐって議論したり、それに基づいて画を描いたりすることが繰り返されてきました。作品も「古典」に対する一つの解釈と言えますよね。自分の研究の核に南宋絵画を置いているのですが、時代を超えてある作品を人々がどう見たのかを考えているうちに、それでは日本絵画や朝鮮王朝の絵画の場合を考えてみようと。それを続けていくと、だんだんと相対的な位置づけが見えるように。作品同士の相互関係、点と点の関係はもちろん、ダイナミズムというか全体の流れとしてどのように展開しているかがより具体的に見えてきました。中国絵画を中国絵画の展開としてのみならず、韓国の人たちがどう見たのか、日本の人たちがどう見たのか。また、昔の人たちがどう見たのか、近代の人たちが、現代の人たちがどう見たのか。これらはある側面でみな違うんですよ。同じようなところに注目している場合もあれば、その画の違う面を見ている場合もあって。再生産される場合も複製として同じものはない。画自体、モノとして存在しているけれど、作品は鑑賞行為があって完結するものじゃないですか。そういったことも含めて美術史の中で議論していくべきですし、中国絵画を中心に据えつつ、様々な視点から、東アジア絵画の展開を具体的に把握しようとしいています。

板倉 聖哲

―― ある作品には、その画家の、それ以前の作品についての解釈が現れているという発想はとても面白いですね!

  イメージ自体の展開は一つの動態として扱うことができます。一つのイメージがどのように生まれ、変容していったかを見据えながら作品を見るということです。例えば、最近、特に韓国絵画に注目しているのですが、室町・江戸時代の日本人は、実は韓国絵画を中国絵画だと鑑定することがしばしばありました。そのため、今でも韓国絵画が中国絵画として多く扱われており、中国絵画調査中にしばしば韓国絵画の「発見」があります。日本人は、中国絵画として判断された韓国絵画を、韓国絵画それ自体としてよりも中国絵画に寄った形として受け入れたわけです。例えば、これは伊藤若冲の「百犬図」(個人)ですが、当時伝わっていた中国絵画の犬の画と韓国絵画の犬の画のパターンの両方を組み合わさせたものとして理解できます。この作者はおそらく、韓国絵画の方も中国絵画だと捉えていたのでしょう、韓国絵画の原図らしきもの(中国絵画)を自分なりに復元的に想定しつつ、日本で観察できる犬のイメージを併せて作り上げた。そのように考えないと、この日本絵画は説明できないんです。我々が、韓国絵画を中国絵画とした過去の鑑定が間違いだった、として片づけるのは簡単なんですけど、そうではなくて、当時の人がなぜそのように判断したのか、ということも含めて理解しないと、最終的に日本絵画さえもわからなくなってしまうということです。つまり、間違いを間違いだと笑っても、その間違えた人たちが描いたものは絶対分からないんですよ。ところが、これまでの研究では、過去に中国絵画として扱われた伝称・履歴さえ触れずに、韓国絵画というレッテルを貼り直しています。でも本当は、これは江戸時代には中国絵画でした、ということ併せて言う必要があるのです。「間違えた」過去それ自体が、日本絵画史を再構築していく上で非常に重要なデータなんです。これらも含めて歴史の記述を再構築していくと、各々の国の美術史も東アジア絵画史も全然違った形で書けると思うんです。

―― 先ほど展覧会の冊子を見せていただきましたが、展覧会に携わることも多いのですか?

  美術史の研究は作品あってのことですから。作品との縁は研究をものすごく左右します。最近は画像・文献共にデジタルデータのみで研究をする人もいるようですが、実際の作品を見ないなんておもしろくないじゃないですか。というか、非常に危険です。僕、3年しか学芸員の経験がないのですが、それでも、展覧会のやり方のみならず、大学では教わらないようなことも大いに勉強しました。美術館の陳列ケースでは一枚の画が出ているだけだけど、実際それには箱書・添状など様々な附属品に文字データがついているんですね。学芸員になって初めてこういうものに実際に触れることができて。確かに、その描かれた画は画家が完成させたものだけども、現在に到るまで、とてつもない数の人たちの手を経てきていて、そういった人びとの営みすべてを引き受けて今残っているんだっていうことを改めて実感できたんです。だから、展覧会の企画に携わらせていただくのはかけがえのない資料収集の場でもあって、これからもなるべく関わっていたいと思います。

松田 康博

―― 実は、先生のご研究は絵画をツールとして東アジアにおける文化交流史を描くといった方向なのかなという気もしていたのですが、今お話を伺っていたら・・この見当は全く違いますよね?

  はじめに作品ありきです。本当のことを言うと・・展覧会をお手伝いするのは、他の人がどうであれ、僕が見たいものをやりたい、という動機もあるんですね(笑)。すべての研究においてそうだと思うんですけど、自分がもしおもしろくなかったら、他人が読んでおもしろいはずがないでしょう?僕の場合、作品を見たい、そのために縁を作っていくことは、一つの大きな動機になっています。
  作品をきっかけにして、また新たな観点・研究が始まることもしばしばです。自分で最初にシュミレーションしてみるけれども、現実の方がはるかに複雑だったり、たった一点の作品によって、ストラクチャー全体をもう一度考え直す必要が出てくることがあって、そういう瞬間はとてもおもしろいです。ただ、そういった判断をするには、その作品自体と相当ちゃんと対峙して、物質的にも、表現のレベルにおいても、確認した上で次に進まなければならないと思います。
  多くの人が過去に研究した作品であっても、まだ誰も気づいていないことも存在するし、未見のものを見る機会が増えてくると、想定外の繋がりが過去に存在していたことが見えてくることもあります。現実が想定よりはるかに複雑だと教えてくれるのも作品ということでしょう。


インタビュー後記

  ある一つの絵画をめぐって、その作者が過去の他の絵画をどう解釈した上でそれを描いたのか、さらに、その絵画を今度は後代の人がどう解釈し、どう保存し、現在にまで伝えられてきたのかといった視座を伺い、改めて、絵画は時空間を超えるものなのだと思いました。そしてもう一つ興味深かったのは、「絵画を解釈してきた後代の人びと」に列するように、先生が絵画を解釈するご自身の立ち位置というものをとても意識されているようにみえたことでした。ありがとうございました。(虫賀幹華)

板倉 聖哲 プロフィール

略歴

1965.12.
生。
1988.3.
東京大学文学部美術史学科卒業
1991.3.
東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(専攻 東洋美術史)
1992.4.
東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退
1992.5.
東京大学文学部助手(美術史学研究室)
1995.3.
台湾大学芸術史研究所訪問学者
1996.4.
財団法人大和文華館学芸部部員
1999.4.
東京大学東洋文化研究所助教授(東洋学研究情報センター、造形資料学分野)
2001.11.
台湾・故宮博物院客員研究員(~2002. 3. )
2002.4.
コロンビア大学美術史考古学部客員研究員(~2002. 9. )
2004.3.
東京大学東洋文化研究所助教授(東アジア美術部門に配置換え)
2009.4.
東洋学研究情報センター兼任