インタビュー 05

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第5回となる今回は、当研究所南アジア研究部門所属の高橋昭雄教授へのインタビューをお届けします。

高橋 昭雄 (Takahashi Akio/東文研・南アジア研究部門教授)

高橋 昭雄

―― これまでの研究について教えてください。

 ミャンマーの農村について研究しています。はじめて現地を訪れたのは、1986年から88年、当時は社会主義時代のビルマでした。ビルマ式社会主義というのは、農民を含む国民に非常に統制的な社会、政治体制でした。そのなかでの農村のようすや農民の暮らしについてまとめたものが、『ビルマ・デルタの米作村』(1992)です。社会主義時代には村での調査は非常に制限されていて、村全体の構造についての調査は行われていませんでした。私は学生として村を訪ね、ビルマ語でインタビューを行って、その実態を報告したのです。その後88年のクーデターによって社会主義が終わり、徐々に市場化していきました。93年から95年まで、今度はミャンマー農業省の客員研究員として、2度目の長期調査を行いました(『現代ミャンマーの農村経済』, 2000)。そのときはさまざまな制限も緩和されていましたから、前回よりも多くの村を訪れ、それらの比較を行うことができました。

―― 社会主義時代と市場経済体制移行後の調査を通じて見えてきた農村の変化はどのようなものでしたか。

高橋 昭雄

 フィールドワークはこの2度だけでなく、毎年行っています。ミャンマーでは、社会主義時代であっても、農業については集団化しませんでした。個人経営が主で、土地の配分も平等ではなかったんです。市場経済移行後も、その制度はほとんど変わっていません。結果、大きな農家が有利になって、たとえば経済格差を示すジニ係数は年々大きくなっています。ここで大事なことは、その現象が農業という側面だけでは説明できない、ということです。どこの国でも、農地やそこから生産される農産物の価値は商工業部門に対して相対的に下がっていきます。これに対して農民がとる戦略には、農地を広げる、生産性を上げる、農産物を多様化する、組合を作る等の農業部門内の対策と農業以外での就業、という2つがあります。ミャンマーの場合は経済がまだ発展していませんから、なかなか大きなビジネスチャンスがないのですが、後者への経営の拡大が目立ちま す。電気精米業、自動車や農機具のレンタル、ビデオ上映小屋、といった新たな業態が現在の農村には次々と生まれてきています。大きな農家が、農業で稼いだお金を非農業系のビジネスに投資することによって、所得の格差が広がっていく。これが今のミャンマーにおける農村の状況です。だから、「農業」だけではなくて、「農村」という、村全体を見ないと、アジアの経済発展や社会構造の変化は分からないんです。

―― 先生はもともと経済学がご専門ですが、報告では技術や生活についても言及されていますね。

 実は私自身が農家の長男として生まれたんです。1960年代に始まった日本の農業の大転換を、幼い頃から自分の目で見てきたんですね。だから調査でも自分の経験を振り返ることが多かった。農民にインタビューする際、経済学的な話は全く通じません。むしろ彼らが私に質問するのは、技術や生活に関する具体的な事柄についてです。日本では稲を植える間隔はどれくらいで分げつは何本かとか、村にはいつごろどんな機械が入ってきたのかとか―こういう質問に答えられないと、インタビューができないんです。1度目の長期調査を終えて、帰国した後に本を書くために勉強したのも、社会学や人類学、日本の農業技術や農業史といった経済学以外の学問でした。自分の中で確立された答えがあって農村に行く、というわけではないんです。農村に行って、分からないことがあれば帰国して勉強する、そこからまた新しい方法論を考えて現地に行く、ということの繰り返しですね。経済学は分析をするうえで役に立つツールではありますが、それだけでは切ることのできない全体を捉えたいと思っています。

―― 最後に、これからの展望について教えてください。

高橋 昭雄

 現在は、植民地期に農村で取り交わされた何千枚もの契約文書を集めて電子データベース化する作業を行っています。植民地時代というのは、1886年(デルタ地帯では1852年)から1948年まで続きますが、その時代の農村経済に焦点を当てたいと思っているんです。これまで行われてきた植民地期ビルマ研究は、イギリス政府の公刊レポートを中心として進められてきました。一方、私が元判事の家や町の書店で見つけたのがこれらの文書です。農民たちがお互いに、あるいは地主、金貸しと直接取り交わした契約書、つまり当時の農民が村レベル、個人レベルで残してきた生の史料がある。それを利用すれば、これまでとは一味違った農村像が描けるんじゃないかと思っています。

 もうひとつは、日本との比較研究ですね。実は昨日も実家に帰っていたのですが、私は今でも農業をやっています。兼業農家、あるいは兼業教授ですね(笑)。いずれは故郷の村に帰って住むことになりますから、日本の農村はいかにあるべきか、という問題の答えを探ることが、究極の目標になるでしょう。今勉強しているミャンマーを含め、他国と比較することによって見えてくるものは沢山あるはずです。日本の農村での生活とミャンマーの調査、それぞれの場所における実体験の積み重ねを意識しながら、今後も自分の研究を深めていきたいと思っています。

高橋 昭雄 プロフィール

略歴

1981年
京都大学経済学部卒業
1981年
アジア経済研究所入所
1986年
ラングーン外国語学院留学(~1988)
1993年
博士学位取得(京都大学)
1993年
ミャンマー農業省農業計画局客員研究員(~1995)
1996年
アジア経済研究所退職、東京大学東洋文化研究所助教授
2002年
同教授

主著

  • (単著)『現代ミャンマーの農村経済―移行経済下の農民と非農民』, 2000年, 東京大学出版会.
  • (単著)『ビルマ・デルタの米作村:「社会主義」体制下の農村経済』, 1992年, アジア経済研究所.
  • ほか論文多数

キーワード

  • ミャンマー(ビルマ)、東南アジア、農村経済、社会主義、市場経済化、土地制度、経済史