インタビュー 38

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第38回となる今回は、のリオ・アーロン研究員へのインタビューをお届けします。

リオ・アーロン (Aaron M. Rio / コロンビア大学院美術史考古学部 日本美術史 博士候補生)

リオ•アーロン

―― では、アーロンさんの研究のについて教えて下さい。

  私は中世日本の絵画、特に室町時代の鎌倉の禅寺、建長寺や円覚寺で描かれた水墨画を中心に研究しています。

―― どうしてそのような絵画に興味を持ったのですか?

  大学生の時、最初は東アジア研究という広い専攻の中、特に日本と中国の言語と文化を勉強していました。そこでSusan E. Nelsonという素晴らしい中国美術史の先生に出会って、中国絵画史の授業を取るように勧められました。それで、恋しちゃったんです、中国絵画に(笑)、特に宋元画。
  卒業後に日本に行く機会があって、3年間くらい奈良県に住みました。私は日本の水墨画を研究するつもりは全然なかったんです。奈良に住んでいる間に、美術館やお寺を巡って、奈良時代から鎌倉時代の仏教美術に関心を持ってきて、そのような研究をするために2006年にコロンビア大学院の日本美術史博士課程に入学しました。それから、2007年にニューヨークのジャパン・ソサエティーが開催した展示会、“Awakenings : Zen Figure Painting in Medieval Japan(悟り:中世日本における禅宗の人物画)”を見る機会があって、初めて仲安眞康(ちゅうあんしんこう)という画家の三幅対(三幅で一組になる画軸・掛け物)を見ました。その日、作品の前でプリンストン大学の清水義明先生と話していて、何て不思議な絵なんだろう!と実感しまして。様式も面白いし、画題も興味深い。見せてあげましょうか?

(絵を見せながら)

  真ん中が観音で、左が李白、右に陶淵明が描かれています。この陶淵明の絵は、彼の詩である「飲酒二十首其五」に基づいています。それはこんな感じの詩です。「彼はひどく酔っていて、庭を歩き回っていた。そして一番遠くの東の垣根のそばに行った。そこで彼は菊を摘んで、その時ぱっと南山(盧山)に気付いた。」その瞬間がこの絵の中に描かれています。
  一方、李白は盧山の辺りを歩き回っています、もちろん酒を持って(笑)。これはとても有名な「望廬山瀑布」という詩のワンシーンを描いたものです。立派な大きな滝が描かれており、この話のポイントは、李白は滝を見つめており、陶淵明は南山(廬山)を見つめているということです。
  しかし、この配置、これらの絵画において、彼らの視線は観音の頭あたりに集まっています。私が初めてこの絵を見たとき、陶淵明は山を見ている、そして李白は滝を見ている、しかし彼らは本当は観音を見ているのだと分かりました。観音は山と滝の置き換えになっているようだと。とにかく、15世紀の鎌倉ではある理由でこの三人の人物の「関係」が描かれました。しかし結局のところ、これは仲安眞康の絵ではありませんでした(笑)。

リオ•アーロン

―― 仲安眞康の絵ではなかったのですか(笑)!

  そうです。ただの古いアトリビューションです。確かに鎌倉画壇の独特な様式を示しますが、仲安真康ではなく、恐らく彼より2、3世代後に描かれたと思います。
  仲安眞康については実はあまりよく知られておらず、かなり謎の人物なんですけど、鎌倉の建長寺で15世紀に活躍していた画僧だと言われています。間違ったアトリビューションを含めて、仲安眞康のものと言われる作品は多くて20点もあります。とにかく、私はこの鎌倉画壇の様式に夢中になってしまって、そのときからずっとこの問題を探っています。

―― 彼の絵は他の人の絵と何が違うんですか?

  大雑把に言って、仲安真康の絵はやや暗くて、少し古風にも見えて、あまりにも独特なスタイルなんですけど、私は鎌倉の「ローカルスタイル」の「元」として考えています。要は、ある場所(鎌倉)、ある時間(大体15世紀)だけに存在する様式だと。しかし、正直言うと、彼は雪舟や雪村といった有名な画家のような素晴らしい才能を持った画家ではありませんでした。それでも興味深くて重要な研究対象だと思いますが。

―― アーロンさんはどのような視点から日本絵画を研究しているのでしょう?

リオ•アーロン

  もちろん「日本」という枠で見る必要もありますが、 私はこれらの絵画を日本のものというより、漢字文化圏の絵画の中の一部であるとして捉えています。そのため、15世紀の鎌倉で、仲安真康のような画家はどんな絵を見ていたか、鎌倉でどんな絵が好まれていたか、というような問題は私の研究にとってとても重要です。例えば、「仏日庵公物目録」という日本で一番古い、言わば中国美術のコレクションについての資料があります。因みに、仏日庵とは鎌倉にある円覚寺という寺院の塔頭です。その目録には牧谿(もっけい:南宋の画家)の作品も記録されています。牧谿は、私が思うに、鎌倉の絵画にとって最も重要な人物で、仲安眞康も牧谿の影響を強く受けています。でも、日本では牧谿があまりにも愛好されて、彼の作品ではなくても牧谿という名前が付けられていくという現象が生じました。だから彼は実際に牧谿の絵を見ていたのか、牧谿のものだと思われていた絵を見ていたのかよく分からない。とりあえず牧谿という画家のスタイルに基づいた「牧谿様」というスタイルが作られていったんです。場所と時間によってそのスタイルは異なっていますけどね。15世紀の鎌倉にはユニークな「牧谿様」も存在しました。私は13〜15世紀の鎌倉における「牧谿様」とは何か、それが仲安眞康以降の関東画壇にどのような影響を与えたかを再現しようとしています。その際、仲安眞康を日本人の画家と捉えるより、漢字文化圏のひとりとして捉えた方がいいと私は思いますね。   また、仲安眞康のものだと伝えられてきた絵をリアトリビューションすることも私の論文の重要な部分だと思います。今まで充分に調べられてはいないので。

―― それは大変な作業ですね!絵画を調査するためにあちこち行かれたりするんですか?

  はい。実は今日もこれから東京国立博物館に作品調査に行きます。これがまた大変で…たくさん書類を提出しないといけないし、見せてもらう時間も限られていて、次にいつ見られるか分からない。ここが美術史研究の大変なところでありながらも、一番楽しいところでもありますね(笑)。


インタビュー後記

  アーロンさんは日本語がとてもお上手で、お話を聞いていると日本・中国の絵画が大好きな気持ちがひしひしと伝わってきました。いろいろな水墨画の写真を見ながら丁寧に説明をして下さったので、美術館に行ったような気分でとても楽しかったです。ちょうど桜が満開の時期で、インタビュー後に池本先生らと一緒にお花見ランチをできたのもいい思い出になりました。どうもありがとうございました。(石原)
英語のインタビューはこちら