インタビュー 10

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第10回となる今回は、当研究所南アジア研究部門所属の加納啓良教授へのインタビューをお届けします。

加納 啓良 (KANO Hiroyoshi/東文研・南アジア研究部門教授)

―― 先生の現在の研究における興味・関心を教えてください。

加納 啓良

 主にインドネシアを中心に、19世紀半ば以降の東南アジアの社会経済史を勉強していますが、その中でも特に第二次世界大戦以後現在に至るまでの農業、それから都市と農村の関係の変化、そういうことについて事例研究をやってきました。より具体的に言うと5つのトピックに強い関心を持っています。第1が米作農業と農村就業構造の変化、2番目が地域と地域、都市と農村の間の経済的関係と人口移動、3番目が都市圏の拡大と郊外社会の形成、4番目が脱植民地化に伴う植民地時代の主軸産業だったプランテーション産業、特に最近台頭の目覚ましいオイルパーム産業の変容と発展、5番目はそういう経済の発展に伴う東南アジアの国際貿易の変容です。以上5項目を、主としてインドネシア、副次的に東南アジア全体、特にインドネシア近隣のマレーシア・シンガポール・フィリピンを中心にやっているのですが、当面は4番目のプランテーション産業で特にオイルパーム(油ヤシ)産業の変容と発展に集中したいと思っています。

―― 先生がそのような関心を持つようになったのは何故ですか?

 初めて東南アジアに関心を持ったのは学生の時で、もう今から40年以上前になりますけれど、1968年に東南アジア(フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ、カンボジア)を回る貧乏旅行をしたことがきっかけです。その頃の東南アジアは、一方で1967年にASEANが結成され、東ティモールとブルネイを除くと大体植民地支配は終わって、国民国家の形成が軌道に乗り始めていました。他方でベトナム戦争が続いていましたから、ナショナリズムと社会主義や革命といった二重のプロセスが進行している時期でした。植民地支配が終わり独立して国民国家を作っていく中で、政治的には革命やナショナリズムが問題になっていましたが、よりもっと下のレベルで、社会的経済的には一体どの様な変化が起きていくのか、私はそういうことに関心を持ったわけです。そして特にインドネシアを勉強してみようと思いました。旅行した時にインドネシアへは行かなかったのですが、行かなかったが故になおさら興味を持ったんです。

―― これから集中なさろうとしている「オイルパーム産業の変容と発展」とは具体的にどのようなことですか?

 プランテーション産業は植民地時代には花形産業で、東南アジアの農業の柱の一つだったのですが、独立して工業化が進む中で国民経済的な比重はずっと下がってきたんです。しかし実際にはプランテーション農業がなくなったわけではなくて、ゴムやお茶、コーヒーなど依然たくさんの物が生産されていて、輸出量も戦前の植民地時代より多い場合があります。その中でも最近20年間で非常に生産量が増えているのがオイルパームで、マレーシアやインドネシアではそのプランテーションが急激に拡大しています。これは植民地時代のプランテーション産業の単純な延長ではなく、いろんな面で違う点がある。そこをえぐり出してみようと思っているんです。

加納 啓良

 まず一つ目は誰がオイルパームを消費しているのかという点。植民地時代のプランテーション産業の輸出先は基本的に欧米でした。しかしオイルパームは違って、初期はヨーロッパへの輸出が多いのですが、1990年代に入ってからはアジア向けが大量に増えてきて、今は最大の輸入国が中国で2番目はインド、パキスタンなんかも多いです。つまりアジアの需要によって支えられていて、欧米と結びつく形じゃなくなっているんです。しかも戦前は欧米の資本や企業が中心だったけれど、今は地場の企業が中心です。

 それと同時にもう一つ重要なのは、残念ながら今までのところオイルパームのプランテーション開発とともに熱帯林の破壊が進んでいることです。マレーシアで熱帯林がオイルパームのプランテーションに置き換わるというプロセスが進み、それがインドネシアに広がって環境破壊の問題を起こしている。植民地時代のプランテーションは熱帯雨林を根こそぎ破壊するようなところまでは手をつけなかったのですが、独立後の国民国家で行われているプランテーションの発展は、かつてとは比較にならないくらい熱帯雨林を中心として環境に負荷をかけるようになってきているのです。これに伴って生態系の問題、環境問題、それから土地利用に伴う先住民の生活破壊の問題なんかも生じています。そういうことに注目している人はたくさんいるのですが、僕は経済史が専門なので、一体どんな企業が登場してきてパームオイル産業を担っているのかを調べようと思って、今着手し始めたところです。

―― 先生にとって研究をしていくための推進力になっているものって何ですか?どこに面白さを見出しているのかを伺いたいのですが。

 僕はとにかく現場を見て歩くのが好きで、歴史ですから過去のことを扱うわけですけど、現在がどうなっているかということをいつも見ていています。汽車やバスに乗ったり、車をチャーターしたりして、農村だとかプランテーション地帯の景観がどうなっているかを見て歩くのが大好きです。研究を始めて30年以上経ちますが、やはりその間の変化をずっと見てきているので、その目で見た変化、そしてその背後に何があるんだろうという思いがいつも出発点になっています。ビジブルなものから問題意識を組み立てていくことが僕のやり方の特徴かなと思います。普通の歴史家の方々だと先ず史料が出発点ですから、そういう感じ方・問題意識の立て方はあんまり出てこないのかもしれません。しかし僕の場合は、勿論歴史を扱うので史料も大事にしますが、それより前に現場が今実際どうなっているかを絶えず見ていて、そこから過去へ遡っていくという手法をとります。だから、やはり現場に行って目で見て話を聞くというのが一番楽しいし、問題を組み立てていく上で一番役に立っていますね。

加納 啓良

―― 加納先生からは常に好奇心が湧き続けているような印象を受けました。そんな先生のこれからの展望を聞かせて下さい。

 そうですね。単純なんです。とりあえず行ってみないと情熱が続かないんですよ。向こう2年くらいは今日話したテーマに集中しようと思っています。しかし、段々歳もとってフィールドを歩きまわるスタミナも無くなってくるので、定年を過ぎたら少し落ち着いた仕事をやろうと考えています。20年に渡り大学での教育活動でやってきたアジア経済史だとか東南アジア現代史の授業を少しまとめにかかって、全体を見渡した、学生さんに読んでもらえるような概説書をまとめることを最後の仕事としては考えています。

加納 啓良 プロフィール

略歴

1948. 3
1970. 3
東京大学経済学部卒
1971. 4
アジア経済研究所に就職、調査研究部に配属
1980. 10
東京大学東洋文化研究所助教授
1986. 6
国際文化会館社会科学国際フェローとしてオランダのアムステルダム大学人類学・社会学センター客員研究員に(1987. 6まで)
1987. 9
国際文化会館社会科学国際フェローとしてインドネシアのガジャマダ大学農村・地方開発研究センター客員研究員に(1988. 9まで)
1990. 2
経済学博士 (東大)
1991. 6
東京大学東洋文化研究所教授、現在に至る
1998. 12
国際協力事業団(JICA)専門家としてインドネシア大学日本研究センター客員研究員に(1999. 12まで)
2009. 2
インドネシア大学客員教授(adjunct professor)