インタビュー 13

このページでは、当研究所教員へのインタビューを通じて、当研究所における研究への取り組みをご紹介しています。
第13回となる今回は、南アジア研究部門所属の永ノ尾信悟教授へのインタビューをお届けします。

永ノ尾信悟 (EINOO Shingo/東文研・南アジア研究部門教授)

永ノ尾信悟

―― 現在の研究内容をお聞かせ下さい。

 もともとはインド哲学をやろうとしていたのですが、哲学の根源を知ろうと思って始めたヒンドゥー儀礼の研究から抜けることができずに現在に至っております。

―― ヒンドゥー儀礼の研究はどういった経緯で始められたのですか?

 私は京都大学文学部のインド哲学科に入学して、卒業論文は「解脱の道」というタイトルで、11世紀頃のラーマーヌジャと言う人の「『バガヴァット・ギーター』の注釈」という文献について書きました。その中で、ラーマーヌジャは「ウパニシャッド」というインド最古の哲学の文献を頻繁に引用していました。ウパニシャッドは、古代インドの人たちがいかに輪廻から脱却するかを考えた出した最初の文献です。しかし、その様な思考法がウパニシャッドの時に突然生まれたのではなくて、実はそれ以前に1000年ほどの歴史があり、そこにウパニシャッドの起源があることが分かりました。それがヴェーダ祭式といって、神々を祀って現世的な利益を得るという儀礼です。この儀礼を解釈した「ブラ―フマナ」という文献群があるのですが、その論理がウパニシャッドになっていくということだったのです。ですから、哲学を理解するためにはウパニシャッドを理解する必要があり、そのためにはヴェーダ祭式の論理を知らなくてはならないと考えて、儀礼の研究を始めました。

―― 儀礼の研究というのは具体的にはどういったことですか?

 修士論文の時には、牛やヤギを殺して神々に捧げる犠牲獣祭について書きました。博士論文の時は季節祭について研究して、ヴェーダ祭式の研究にのめり込みました。博士論文が仕上がるころ、私は国立民族博物館に就職することになり、就職後初めてインドに行きました。寺院に行ったり祭礼を見たりしたのですが、それらは私の知っているヴェーダの世界とはかなり違いました。例えば、寺院や神像の有無、神様を祭る方法なんかが全く違うんです。どうしてヴェーダ期の神祭りから現在に至るまでにこんなに大きな差があるのだろうと疑問に思い、文献を読んで辿ってみようと思いました。その様にして、ヴェーダ期とポストヴェーダ期の神祭りのシステムの差を検討してみようと思ったのが現在の研究の始まりです。ヴェーダ期をやっている人はポストヴェーダ期のことに興味がなくて、ポストヴェーダ期をやっている人はヴェーダ期にまで手が回らず、お互いの交流がないんです。だったら私が両者の比較をやろう、と思って始めました。

永ノ尾信悟

―― 先生にとって儀礼研究の面白さはどういった点にありますか?

 面白さというのは徐々に分かってきました。最初はこれをしなければいけない、という思いで一生懸命やっていました。だから面白いからではなく、研究者になりたいから何かを対象に研究しないといけない、そこでたまたま哲学の基になることから始めたんです。しかし、先ほどお話ししたように、ヴェーダ期からポストヴェーダ期の儀礼研究には、なぜ現在見られる宗教的な状況がヴェーダ期と違うのかを調べてみたい、というよりはっきりとした動機がありました。それが次第にわかってくると、時々「やった」とかいう気がして、面白さを感じるようになりました。

 後は、変化を見やすい点ですね。儀礼というと具体的な供物とか、神像やお寺といった具体的な建造物が関わってきます。プージャーという供養の儀礼や聖地巡礼のシステム、年中儀礼のカレンダーの形成など、ポストヴェーダ期にはヴェーダ期に見られなかったものが生じています。このように、儀礼の世界には具体的なものがたくさんあるので変化を見やすいんです。一方で、宗教的な観念といったら形としては非常に捉え難いですよね。

―― そのような変化が生じた理由も研究なさっているのですか?

 そうですね、ヴェーダ祭式が消滅したのは、おそらく複雑になりすぎたからだと思います。とても複雑な神祭りの体系を作り上げてしまったので、ものすごい知識が必要になり、それを伝承するには優秀な若者をたくさんリクルートして教える必要があり、そうするためには多額のお金が必要でした。もともとヒンドゥーの最上階級「バラモン」が祭式のシステムを作っていて、それは主に王族のためのものでした。王族は王国の繁栄のために祭りをやればいいと信じていたので、バラモンの知識を維持するために経済的な援助をしていました。ところが、異民族の侵入やバラモンの権威を認めない仏教やジャイナ教の登場によって、文化的なヘゲモニーをバラモンに取られていることに対して、王族が疑問を抱くようになったんです。そういう人たちが仏教やジャイナ教に帰依していったことから、お金もそちらに流れて、大規模なヴェーダの知識を伝承することができなくなり、崩壊してしまったと考えています。国家的な庇護がなくなったポストヴェーダ期には、個々の人々に対する願望実現の方法として、賞品としての魅力的な儀礼体系が築かれました。日本の神社やお寺と同じように、祖先崇拝や死者儀礼が重要な収入源になっていたようです。

永ノ尾信悟

―― 今先生がなさっている研究を一言で表すことはできますか?

 ジグソーパズルのコマ数をより多くして、より鮮明なイメージを作り出すこと、ですかね。イメージとしては、この例えがずっと頭の中にあります。昔子供と一緒に図鑑を見ていると、アンモナイトの変化が載っていたのですが、あれもアンモナイトの化石の様々な種類をたくさん集めることによって綺麗な系統図を作ることができるんです。それと同じで、種類をいっぱい集めれば集めるほど、ジグソーパズルのピースが小さくなり、それを印刷した映像が鮮明になると思うんです。

具体的には、膨大な文献に散らばったサンスクリット語の記述をアルファベットに対応させてコンピュータに記録し、「CARD」というデータベースを作っています。野望はそれをウェブで公開することです。

永ノ尾 信悟 プロフィール

略歴

1948. 7
生。
1971
京大文卒。
1986
PhD (マールブルク大)。
1980
九州東海大学講師 (1984まで),
1984
国立民族学博物館助手,
1987. 12
国立民族学博物館助教授,
1991
東文研助教授,
1994
同教授。