現地調査に出かけて予想外の状況に出くわすことがあります。私の場合、2003年にカイロに「留学」をしたのは、20世紀初頭のエジプトで、女性たちがなぜ、どのようにヴェールを脱ぎ始めたのかを調べるためでした。ところが、現地に滞在する中で、私は、自分自身がヴェールをめぐる逆の動きの中にいることを意識するようになりました。当時のカイロでは、ヴェール姿の女性の数が明らかに増えつつあったのです。私は出会った女性たちに、ヴェールをまとい始めた理由を尋ねるようになりました。すると、返ってきた答えの中に、次のようなものがありました。「神のことがたまらなく美しく、たまらなく素晴らしく思えた。それで、神のために何かしたいと思った。」「ヴェールをまとわない自分はムスリムではないのだろうかと煩悶した。」そうした言葉は、当時の私にとって理解できないものでした。ヴェール着用者の増加現象を扱った先行研究にもあたってみましたが、そうした言葉に関しては、納得のいく説明が見つかりませんでした。いつしか私は、当初の研究計画はそっちのけで、彼女たちの言葉の意味を知るための試行錯誤を始めていました。
2000年代の前半、エジプトでは、ムスリム女性のヴェールを主題とする書籍や新聞・雑誌記事、冊子、説教を録音したカセットテープ、テレビ番組などが、人々の生活空間にあふれていました。私はそれらをできるかぎり集め、目を通し、耳を傾けてみることにしました。その結果、浮かび上がってきたいくつかの「ポイント」が本書の各章を構成しています。
本書は「ヴェール着用者の増加現象」の全体像を描いたものではありませんが、同現象について、これまで描かれてこなかった絵を提示しようとするものです。「神のためにまとうヴェール」という表現に違和感や疑問を抱いた方には、ぜひ読んでいただきたいです。
2014年7月15日
著者
目次 | |
凡例 | |
序 | |
第I部 | 聖典とヴェール |
第1章 |
クルアーンとヴェール――啓示の背景とその解釈 はじめに 啓示の背景と状況 啓示解釈の展開―― 女性の顔と「フィトナ」 おわりに |
第2章 |
現代エジプトと「ヒジャーブ」――ヴェール着用の義務をめぐる議論とその根拠 はじめに ヒジャーブは義務か ヒジャーブの概念とその根拠 おわりに |
第II部 | ヴェール着用を支えたもの |
第3章 |
ヒジャーブをまとうまで――宗教冊子と説教テープが伝えるヴェール着用の理由 はじめに 物語の始まり イスラームとヒジャーブ ヒジャーブは人にやさしいか おわりに |
第4章 |
人気説教師とヒジャーブ――ヴェールの流行と言説の変化 はじめに ヒジャーブと「フィトナ」 ヒジャーブと「ハヤー」I ――ハヤーとは何か ヒジャーブと「ハヤー」II ――なぜヒジャーブをまとうのか 「フィトナ」と「ハヤー」 おわりに |
第5章 |
芸能人女性の「悔悛」とヒジャーブ――ヴェール着用を支えた出来事と思想 はじめに 「悔悛」という現象 死とヒジャーブ 夢とヒジャーブ 宗教行為とヒジャーブ おわりに |
結語 | |
補遺 | |
あとがき | |
主要参考・引用資料 | |
図版資料 | |
初出一覧 |
後藤 絵美
著
『神のためにまとうヴェール――現代エジプトの女性とイスラーム』
中央公論新社, 299ページ
2014年7月