普遍という概念は、いまもなお警戒されている。西洋近代も日本も自らを普遍と称し、それは数え切れない暴力を引き起こしてきた。では中国はどうなのか。本書は、中国中心主義や中国特殊論の批判を踏まえて、価値相対主義に陥ることなく、「共に享受する普遍性」としての「新天下主義」を提唱し、文明、文化、国家へと議論を展開する。真に多様性・多元性を尊重するための思考とともに、《ウニベルシタス》もまた、新たに始動する。
(法政大学出版局HPより)
| 序 普遍性の再建――新天下主義と現代中国思想 |
|---|
| 第Ⅰ部 来たるべき東アジア |
| 第一章 新東アジア秩序の構想――EU式の運命共同体 |
| 一 古代から現在までの四種類の東アジア秩序 |
| 二 帝国秩序から共同体秩序への転換 |
| 三 EU式運命共同体の存在を支える三本の柱 |
| 四 「国家的視野における東アジア」から「東アジア的視野における国家」へ |
| 第二章 世界的な保守主義時代の到来 |
| 一 三つの本位的保守主義の台頭 |
| 二 世俗と宗教︱近代文明の苦境 |
| 三 ポリティカル・コレクトネスは正しいのか、いかに正しいのか |
| 第三章 新天下主義と中国の内外秩序 |
| 一 天下主義の普遍的価値 |
| 二 脱中心化し、脱ヒエラルキー化した新たな普遍性 |
| 三 天下の内部秩序――多元一体の国家統治 |
| 四 天下の外部秩序――国民国家主権という観念を超える |
| 五 東アジア運命共同体はいかにして可能か |
| 第Ⅱ部 自由主義を問い直す |
| 第四章 中国は何を根拠に世界を統治するのか |
| 第五章 二つの啓蒙――文明的自覚か、文化的自覚か |
| 一 文明的自覚と文化的自覚 |
| 二 新文化運動は最初の文明的自覚である |
| 三 九・一八事変後の文化的自覚 |
| 四 「よい」文明と「われわれの」文化 |
| 第六章 自由主義はなぜ枢軸文明に接続しなければならないのか |
| 一 自由主義の文明的基礎に関する三つの選択肢 |
| 二 包括的な文明としての自由主義は可能か |
| 三 なぜ信仰と理性はともに重要なのか |
| 四 なぜ自由な選択は善を必要とするのか |
| 第Ⅲ部 国家主義を超えて |
| 第七章 普遍的文明か中国的価値か――中国の歴史主義思潮への批判 |
| 一 八〇年代の普遍的理性から九〇年代の啓蒙の歴史化へ |
| 二 普遍性に挑戦する――歴史主義の勃興 |
| 三 普遍性を争う――中国の興隆を背景として |
| 四 「殊途同帰」、「分道揚鑣」から「理一万殊」へ |
| 第八章 中国にはリバイアサンが必要なのか――国家主義思潮への批判 |
| 一 左から右へ――国家主義の二つの思想の脈絡 |
| 二 「応答的民主主義」か「応答的権威主義体制」か |
| 三 シュミット主義の亡霊――国家の絶対的な権威 |
| 四 呪術化に向かう国家理性 |
| 第九章 儒家の孤魂、身体はどこに |
| 一 王官の学は袋小路である |
| 二 心の宗教への転換――欲することはできても求めることはできない |
| 三 「文教」としての儒家――希望は民間にあり |
| 付録 対話(許紀霖・中島隆博・石井剛・鈴木将久・林少陽・王前) |
| 監訳者あとがき 許紀霖――普遍の擁護者 |
| 出典と翻訳担当者一覧 |
| 人名索引 |
紀霖 著, 中島隆博・王前 監訳
『 普遍的価値を求める―中国現代思想の新潮流』
法政大学出版局, 358ページ, 2020年8月, ISBN: 978-4-588-01121-4