1949年以降すでに60年をこえて分離状態を続ける中国と台湾。その間、日米をはじめ関係各国は中台関がどこへ行きつくのかを見守り続け、あるいは深くかかわってきた。1970年代初めまで、台湾の中華民国政府が国連での中国の議席を占め、日本との外交関係を有していたが、71年に国連を退出し、72年には日本との外交関係も断絶した。台湾は、70年代以降、政府間の公的な外交ネットワークにはほぼ参加できない状況におかれているが、実質的には各国・地域との関係を維持し、対外活動を展開している。それは、民間活動の領域のみならず、非公式もしくは「半公半私」とでもよびうる領域のなかで、時に政治的な交渉も含まれる。本書の主なテーマは、こうした台湾の特殊な状況はいかにして生まれたか、またそのようなかたちで台湾が国際社会に生き残ることがどのように可能となったのかである。
1950年代に台湾海峡をめぐる状況の固定化が図られて以降、台湾の中華民国政府は、大陸反攻を叫びつつも実行できない時間のなかで、50-60年代には各国の中国問題に対する政策転換を阻止することができた。それは、ある意味「成功」だった。しかし、国連における中国代表権問題や日本との関係で繰り広げられた外交や宣伝工作が短期的な「成功」を重ねる過程で、さまざまな選択肢が失われていった。70年代初期の外交的挫折は、日米をはじめとする各国の政策転換や柔軟性のない蒋介石の外交によってもたらされたと理解されてきたが、実はそれ以前の20年の中華民国政府の外交成果の裏返しとしてとらえられるのではないか。
また、その後の70-80年代の国際的孤立のなかで、台湾は中国とは別の存在としての活動空間を確保し、拡大していく。日本という中国との闘いの最前線において、台湾がみせた硬軟取り混ぜた外交は、中国の正統政府を志向する中華民国外交の表看板をそのままに、しかし現実的な選択・対応をとりはじめていた。この過渡期における実質的な行動様式の変容とその実質関係の積み上げを基盤として、90年代の李登輝時期において台湾としての存在認知を追求する台湾外交が展開されていくことになる。それは意図せざる結果なのか、それとも企図されたものなのか。
中華民国外交から台湾外交が形成されていく歴史的過程を明らかにする本書の試みが、台湾は何を選択し、日本はそれにどうかかわってきたのかを理解する一つの文脈を提示し、これをたたき台として台湾の外交史研究が活性化すること、そして今の台湾をめぐる課題をより多様な視点でとらえていく一歩となることを願ってやまない。
序章 「現状維持」を生み出すもの |
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第1章 台湾の中華民国外交の特徴 |
1 台湾の中華民国外交と内政の関係 |
2 外交と指導者の威信 |
3 1960年代までの政治力学 |
4 小結 |
第2章 1950年代の米台関係と「現状維持」をめぐるジレンマ |
1 揺れる米国の対台湾政策 |
2 1950年代の中国代表権問題 |
3 小結 |
第3章 1961年の中国代表権問題をめぐる米台関係 |
1 ケネディ政権と「二つの中国」論 |
2 蔣介石の決断 —— 政策転換と葉公超駐米大使の辞任 |
3 小結 |
第4章 政経分離をめぐる日中台関係の展開 |
1 1960年代前半の日中台関係 |
2 「第二次吉田書簡」と池田政権の中国・台湾政策 |
3 小結 |
第5章 1960年代の日華関係における外交と宣伝工作 |
1 「反共」政策をめぐる組織と対外政策 |
2 1964年の吉田茂訪台に見る宣伝と外交 |
3 対中闘争としての対日工作 |
4 小結 |
第6章 中華民国の国連脱退とその衝撃 |
1 台湾問題と国連における米国の影響力の変容 |
2 国連退出後の台湾の対外政策 |
3 外交と内政における「漢賊並び立たず」原則 |
4 小結 |
第7章 日華断交のとき 1972年 |
1 蔣経国体制発足と対外政策の調整 |
2 日中国交正常化への対応 |
3 大平外相の対台湾外交と断交後の関係をめぐって |
4 日本からの特使派遣 |
5 日華断交と実質関係の維持 |
6 小結 |
第8章 外交関係なき「外交」交渉 |
1 航空路線問題の外交問題化 |
2 航空路線断絶の政治過程 |
3 日台関係の転換点としての航空路線再開 |
4 日本における中台外交闘争と蔣経国の「実質外交」 |
5 小結 |
第9章 中華民国外交から台湾外交へ |
1 中華民国外交と内政 |
2 日華断交と日台チャネルの変動 |
3 過渡期の台湾外交 —— 馬樹禮時期の対日工作 |
4 李登輝時代への変動のなかで |
5 小結 |
終章 「現状維持」の再生産と台湾外交の形成 |
あとがき |
注 |
参考文献 |
索引 |