本書は、西南アジア地域として、アフガニスタンと、パキスタンの西半分、おもにバルーチスターン州、そしてインドのパキスタン国境に接するラージャスターン州あたりを扱う。基本的には、砂漠地方に独特な遊牧とナツメヤシ栽培を記述することから始めて、その地方で生活する人たちの文化の特質から現代の状況までを考察しようとするものである。ただ単に、人びとがどのような生業をおこなって、物質的な生活基盤を維持しているのかを知るのではなく、その生業活動を可能にしている労働のための社会的協調や競争、生業資源の配分、占有、使用をめぐる経済的諸関係のあり方、さらにそれらをどのように操作して政治的影響力を編み出していくかという政治の問題へと関連づけて考察する。下部構造としての生業が、単に社会や文化という上部構造を構造化するだけではなく、社会や文化に属する生業資源や労働力、人間の再生産の構造の要である女性の交換(婚姻)などが生業のあり方を構造化するという側面にまで考察の範囲を広げる。こうして、生業の関係領分、とくにその文化社会的側面までを含めて、「生業のエートス」という概念で把握することを提案した。
この「生業のエートス」は、人間の社会的関係、とくに経済的競合や政治的な支配関係とも密接にかかわっており、同時に、これらの土地の人びとを律する土着的な倫理、インディジナス・エティックスと表裏一体の関係にあるといいうる。このインディジナス・エティックスは、人びとが経済、政治関係にかかわる行動をするときの、「ゲームの規則」としての役割をはたすからである。パシュトゥーンではパシュトゥヌワレイ、バルーチュやマヤールなどの個別名をもつインディジナス・エティックスはそれぞれに固有のニュアンスをもちつつ、宗教的意識や実践、日常活動から女性をめぐる規律、さらに社会的名誉についての規定をはっきりと人びとに意識させ、彼らの行動を拘束する。土地の人たちの民族としてのアイデンティティと信仰(イスラーム)がこのエティックスの共有の基盤をなしており、近代化が世俗化(公的な世界を宗教から解放すること)を特徴とするなら、これははっきりと前近代的な様相といえるだろう。アフガニスタンにおけるように、このインディジナス・エティックスが外部世界からの介入によって侵されたときには、人びとは激しく抵抗する。
このように、生業、生業のエートスを介して生業の社会的文化的意味の拡大、さらに、それを背後から支えているインディジナス・エティックスを明らかにし、そのうえで、今日の西南アジア地域の混乱と紛争を理解するためのひとつの視座を提供しようとするのが、本書の主要な意図である。
はじめに | |
---|---|
序 | |
第Ⅰ部 アフガニスタンの遊牧――西南アジアにおける生業のエートス(Ⅰ) | |
第1章 | アフガニスタンのパシュトゥーン遊牧民 |
第2章 | 家畜群構成と牧畜経営類型 ――アフガニスタンの牧畜諸族に関する民族誌的覚書―― |
第3章 | 遊牧の文化的特質についての試論――西南アジア遊牧民を中心として―― |
第Ⅱ部 バルーチスターン、ラージャスターンの乾燥農業 ――西南アジアにおける生業のエートス(Ⅱ) | |
第4章 | バルーチスターン・マクラーン地方の農業と社会 |
第5章 | マクラーニー・バルーチュ人のヤシ文化 |
第6章 | ラージャスターンの民話、民俗地誌、そして阿片 |
第Ⅲ部 パシュトゥーン、バルーチュ対照民族誌 | |
第7章 | 一九世紀アフガニスタン、バルーチスターンの遊牧民 |
第8章 | 遊牧の二類型とその意味 |
第9章 | 自立する周辺民族 |
第10章 | インド北西辺境における性愛のテーマ |
第Ⅳ部 歴史的社会的からまりあい(エンタングルメント) | |
第11章 | アフガニスタンにおける民族関係 |
第12章 | アフガニスタン紛争の文化的要因 |
第13章 | 周辺の地政学――パキスタン・バルーチスターン州の民族・宗教問題 |
第14章 | 部族社会からカースト制へ ――ラージャスターンにおける社会=宗教複合の変容 |
第Ⅴ部 フロンティアの現在 | |
第15章 | ズィクリーはムスリムか? |
第16章 | アフガニスタンという不幸 ――近代、「前」近代、「反」近代の布置 |
跋 | |
引用文献 |