書籍紹介

菅 豊 編『ヴァナキュラー・アートの民俗学』(東京大学出版会)

編者からの紹介

 二〇世紀後半、「ヴァナキュラー(vernacular)」という用語は、様々な研究分野のキーワードとして広く使われるようになった。現代の文化研究では、周縁的で非主流、そして文化的ヒエラルキーの下位に位置づけられるような文化がもつエネルギーや積極性、躍動感に着目する戦略的な術語として、ヴァナキュラーという語は使われている。とくに小さな存在の周縁性を逆手にとり、大きな存在である「中心」や「主流」に異議を唱える研究者たちが、その語を好んで使用する傾向がある。
 私は、多義的に解釈できるこのヴァナキュラーという語を、形容詞としては「何かの中心から離れたところにある~」、そして名詞としては「何かの中心から離れたところにある性質や状態」という概念的見取り図でとらえている。このヴァナキュラー概念の見取り図に従うならば、本書が主題とするヴァナキュラーな性質をもつアート、すなわち「ヴァナキュラー・アート(vernacular art)」は、「何かの中心から離れたところにあるアート」、そして「小さきもののアート」と表現することができる。ヴァナキュラーという概念は、公式で正式、そして正統や主流、高踏といったところに立ち現れる、権威性や中心性を帯びたアートではなく、そこから離れているところに浮かび上がるアートを見極めるのに、まずは大いに役立つだろう。
 本書はヴァナキュラー・アートという観点から、専門家ではない普通の人びと、すなわち「野」にある「小さきもの」たちの豊かな創造性や、普通の人びとが生きるなかで「アートする(doing art)」ことの積極的な意味にフォーカスしている。それはまず、「小さきもの」の卑近な創作活動、すなわち「小さきものの芸術」を研究する意義について検討し、これまでの日本の民俗学が十分に取り組んでこなかった、アートという研究ジャンルを日本の民俗学のなかに画定し、それに対応する研究視座を構築することを第一の目標とする。またそれは、ヴァナキュラー概念を用いた民俗的アート論によって、従来のアート研究では重きが置かれてこなかった普通の人びとのありきたりで、平凡な日常世界でのアート創作活動の様相と意義から、アート・ワールドの中心を逆照射することを第二の目標とする。そしてさらに、ヴァナキュラー・アートを起点として、未だ十分に研究されていない、そしてこれからも研究され尽くすことがないヴァナキュラー文化という沃野の一部の「地図」を描き出すことを第三の目標とする。もちろん、宏大なヴァナキュラー文化の沃野を、本書だけで描き尽くせるはずもない。しかし、本書がそのアート実践の面白さや研究の意義の一端を示すことで、多くの人びとがヴァナキュラー文化の沃野へと第一歩を踏み出すきっかけとなれば幸いである。

目次

序章ヴァナキュラー・アートと民俗学(菅 豊)
Ⅰ ヴァナキュラーなアート理論
第1章ヴァナキュラー・アートとは何か?:「小さきものの芸術」へのまなざし(菅 豊)
第2章現代美術の民俗学的転回:ヴァナキュラー・アートと限界芸術(福住 廉)
第3章「ヴァナキュラー」と「アート」の「あいだ」に:大正・昭和初期における余技・南画家たちの暮らしと実践(塚本麿充)
第4章〈アート〉における「ヴァナキュラー」/「グローバル」:フェスティヴァルの考察から(小長谷英代)
第5章 占領期ヴァナキュラー写真を浮上させる:米国での調査をもとに(佐藤洋一)
Ⅱ ヴァナキュラーなアート実践1 造形
第6章超老芸術論:レジリエンスとしての表現(櫛野展正)
第7章 おかんアート:人生における創作活動や技能の蓄積を日常生活で可視化する(山下 香)
第8章ペンギンがやってきた町:ヴァナキュラーなお土産文化(加藤幸治)
第9章お地蔵さまにマフラーを:ヴァナキュラー・アートによる信仰実践(西村 明)
Ⅲ ヴァナキュラーなアート実践2 表演
第10章祭礼アートとしてのつくりもの:タピオカと紫芋フレークの現代民俗芸術論(塚原伸治)
第11章島の地産地〈笑〉論:ヴァナキュラーに笑い合う余興笑芸人たち(川田牧人)
第12章歌わずにはいられない人々:在日フィリピン人の歌コンテスト「ウタウィット」(米野みちよ)
第13章ヴァナキュラーな踊りの価値と、その限界:大里七夕踊の休止をめぐって(俵木 悟)

情報

菅 豊
『ヴァナキュラー・アートの民俗学』

東京大学出版会, 324 ページ, 2024年4月, ISBN: 978-4-13-080229-1

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