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東文研セミナー「砂漠の探究者」を探して―女性たちと百年」第六回研究会が開催されました

報告

 本研究会は20世紀初頭に女性やジェンダーを論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されるものである。前回に引き続き、前半には、ライラ・アハメド著『イスラームにおける女性とジェンダー』(2000年出版の邦訳版)の読書会を行なった。

 今回の題材は第3部「新たな言説」第7章社会変化と知的変化および第8章ヴェールに関する言説である。レジュメ作成を賀川(本文執筆者)が担当し、コメントを飯塚氏よりいただいた。

 第7章においては、19世紀全体で中東社会に起こった諸々の変化がエジプトの女性にどのような変化を与えたか、そしてその過程でエジプトの女性に関してどのような新しい言説が生まれたかが述べられており、続く第8章では、1899年にカーシム・アミーンによって著された『女性の解放』を題材に、当時のエジプト社会において階級摩擦や文化摩擦とともにジェンダーをコード化する言説が生み出されていった過程が描かれている。ここでアハメドは、ヨーロッパの植民地支配を正当化するために生み出された植民地主義的言説こそが、アミーンの本の底流を形成していたものであるとして、本著を痛烈に批判している。コメントにおいて賀川は、第7章、第8章において「本質的」という語が繰り返し用いられていることに着目し、その語に込められた特別な意味を問うた。

 コメンテーターの飯塚氏からは、19世紀、20世紀に中東社会内部で起こったIslamic Reformismについての解説があった。ヨーロッパの圧倒的な力に直面した当時のムスリム社会には、もはやイスラームなど時代遅れと考え、そこから脱却しようとするSecular Nationalism、本来のイスラームは理性と科学の精神を重んずると信じて、それを復興しようとするModernism、西洋かぶれを批判してイスラームの原点に立ち返ろうとするFundamentalismの三つの立場が存在したという。飯塚氏はアミーンの内部でSecular NationalismとModernismの思想が混同して存在していることを指摘したうえで、アミーンの師匠であり、当時の偉大な知識人であったムハンマド・アブドゥによる「真の西洋近代文明はイスラームと矛盾しない」という考えが、一部の弟子へと伝播するうちに「真のイスラームは西洋近代文明と矛盾しない」というものに書き換えられてしまった過去を示した。

 コメントではまた、アミーンの著作に関するアハメドの曲解が指摘され、本著の解釈の幅が提示された。飯塚氏によると、本著におけるアミーン本人の執筆個所を同定するのは極めて困難であるという。これに関して、後藤絵美氏よりさらなるコメントがあった。後藤氏は、アハメドによってアミーンが、「フランスで教育を受け」た者や「ムスリム社会の本来的後進性を認めている者」として描かれていることに疑問を呈した。とくに後者について、アミーンは本来的にムスリムが劣っているなどとは述べておらず、「現状における」文明・社会のヒエラルキーについて語っていたのではないかと主張した。

 以上の報告およびコメントを受け、オーディエンスの中では、アミーンが自著の中で用いている「ヒジャーブ」、「教育」などの語に関するアハメドの解釈をめぐって議論が展開された。

(報告:賀川恵理香 京都大学・院)


 研究会後半では20世紀初頭の蘭領東インド(現インドネシア)の女性雑誌について野中氏に、同時期に中国で刊行された女性雑誌および他のアジア地域との比較から坂元氏よりコメントをいただいた。

 17世紀のオランダ東インド会社創設に端を発し、宗主国オランダの植民地統治下にあった19世紀末の東インド(現インドネシア)は、それまでの経済至上政策から「倫理政策」へ転向を見せはじめた。こうした背景にあって、土着の権威は失墜し白人を頂点に据え置く「植民地の平和」とよばれる秩序がもたらされた。特筆すべきは、男性と同等の権利を追求するヨーロッパでの女性解放運動に比して、東インドでは当時の家族システムの中で制限されてきた社会的活動のさらなる獲得を追求する動きがみられたことである。

 野中氏は東インドで刊行された初の女性雑誌『プトリ・ヒンディア(Putri Hindia:東インドの女性)』(以下PH)(1908-1912)と『プトリ・マルディカ(Putri Mardika:独立した女性)』(以下PM)(1914-1917)を取りあげた。

 「東インドの妻のための新聞と広告」をキャッチコピーに掲げたPHは、現地民男性二人が編集代表を務めたものの、実際に記事の編集に携わっていたのは現地民女性たちだった。内容は、家事についてのハウツウ記事、子育て、夫への忠誠心の強調などに特徴を持ち、総じて既婚女性を対象とした理想的な家庭の構築に主眼が置かれた。

 対照的にPMは東インド初の民族団体の支援の下結成された女性組織「プトリ・マルディカ」の機関誌であり、男性と女性の記者が執筆した。本誌の性格を読み解く上で重要なキーワードは「変化(perubahan)」と「進歩(kemajuan)」であるという。この二点を掲げて従来の東インドにおける慣習の打開が目指された。

 両誌の比較から明らかになったことは、まず、教育の重要性である。PHでは将来の国を担う子どもを育むため女性への教育が重要視されたが、PMにおいて教育は女性自身の社会進出の手段とみなされていた。男女関係についていえば、PHは家父長的であり、女性を、夫を支えるべき存在に定置したのに対してPMはあくまで男女間の平等を強調し女性の社会進出や一夫多妻の否定など革新的な主張をした。ヨーロッパの国々を手本とすることに対して、PHでは一貫して宗主国オランダを称賛し「西欧化」を高らかに謳いあげたが、PMは日本やトルコも視野に入れた「近代化」を論じた。

 これら女性雑誌が刊行されたのはオランダ支配下の多様な言語文化を結びつけたムラユ語の言語空間においてであり、その根底には男性のイニシアチブや支援があった。

 続いてコメンテーターの坂元氏は中国最初期の女性雑誌およびベトナムとインドネシアでのジェンダーに関わる状況について報告した。19世紀末、日清戦争の敗北を機に清朝では政治革命運動が起こった。運動そのものは短期に終わったものの、その影響は雑誌メディアの普及に大きく貢献した。

 この時期に刊行された雑誌をいくつか辿ると、その初めには『女学報』(1898)がある。本誌は改革派の妻や娘たちが中心になって出版され、女子教育の要求を中心に変法運動の宣伝や女性の地位の向上などが示された。背景には国家の富強化を志向した、改革派の男性たちの思想があった。加えて『女子世界』(1904)はほとんど男性が執筆したが、ここでは女性を「国民の母」に定置、強壮な身体をもつ国民を生産するため女性の纏足を否定した。20世紀になると、『女報』(1899改め『女学報』)以来女性の側からも声があがりはじめた。とりわけ注目に値するのが、女性が女性のために出版した雑誌『天義』『中国新女界』『中国女報』が1907年に同時に出版されたことである。清朝の最末期になると『図画日報』(1909-1910)が出版され、特に纏足を解くことが「進化」の流れの中に位置づけられた。1912年中華民国の建国後、女性雑誌として最長の『婦女雑誌』(1915-1931)が出版されたが、ここには「語る男性」と「語られる女性」の乖離がみられた。一連の女性雑誌で共通して取りあげられたのは、女性の教育と纏足の廃止に関する議論である。

 中国と東インドと比較してみると、どちらも女性を「国民の母」に位置づけたにもかかわらず、前者では「家」を存続させる存在として「母」の地位が高かったのに比べ、後者では「母」そのものの地位は重んじられなかった。

 上の報告より展開された議論は次の通りである。

 まず、中国での纏足の議論とイスラーム世界のヴェールに関する議論がパラレルの関係にある点である。纏足は実際に生身の肉体に加工するため単純にヴェールと同一視することはできないものの、ヴェールにせよ纏足にせよ、それをする・しないの議論は初め男性からなされるが、のちに女性自身が議論を展開するようになる。20世紀、社会的なダーウィニズムの隆盛が纏足など女性の身体の解放に影響している可能性も示唆された。

 また、東インドと中国で共通して議論された女性に対する教育の議論においては、それが「国民の母」に結びつけられたとき、「教育」ではなく「徳育」とよばれた点に注目し、ナショナルな問題と女性に対する教育が明確に区別されていたことがうかがえる。

 最後に本報告とこれまでの研究会での議論とをあわせて考察し、西洋列強の植民地支配下に置かれたエジプトおよびインドネシア(東インド)と、完全な植民地化がなされなかった中国との比較も有効ではないかとの指摘が挙がった。近代以降、非西洋世界が「近代化」にとりこまれていく時期の、西洋との「距離」に注目した新たな視点が提案された。

(報告:木原悠 お茶の水女子大学・院)


 読書会はいよいよ近代の部分を迎え佳境に入った。また報告を含め、植民地支配の問題や女性身体の「解放」の問題が論点の一つとなり、25人ほどの参加者とともに議論は大いに盛り上った。次回はいよいよアハメド本の読書会最終回である。「100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのか」という答えは見えてくるのだろうか。次回も楽しみである。

(報告まとめ:後藤絵美)

当日の様子

開催情報

※前回までの研究会 http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~nagasawa/groups/sabaku.html

日時:2017年12月3日(日)13:00-17:30(開場12:30)

会場:東京大学 東洋文化研究所 三階大会議室

【プログラム】
 13:00-14:30
  1.読書会 
  『イスラームにおける女性とジェンダー』
  第3部「新たな言説」 第7章 社会的変化と知的変化、第8章 ヴェールに関する言説
  レジュメ担当:賀川恵理香氏(京都大学・院)
  コメント:飯塚正人氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)

 14:50-16:30
  2.報告
 野中葉氏(慶応義塾大学)「20世紀初頭の蘭領東インドの女性雑誌」
  20世紀初頭、オランダの植民地下におかれた蘭領東インド(現インドネシア)で発行された女性向け雑誌「Putri Hindia(東インドの女性)」と「Putri Mardika(独立した女性)」を取り上げ、一部の記事を紹介しながら、当時の言論空間における女性に関する議論を考察します。
 コメント:坂元ひろ子氏(一橋大学名誉教授、中国哲学)

 ※ミニ報告 松尾有里子氏(東京大学)「オスマン帝国近代の女性雑誌—投稿欄に見る読者層の変遷—」は次回に順延させていただきました。第7回研究会でご報告いただく予定です。


(クリックでPDF)


主催:
科研基盤A イスラーム・ジェンダー学構築のための基礎的総合的研究(代表:長沢栄治)
公募研究会:「砂漠の探究者」を探して—女性たちと百年(代表:岡真理、事務局:後藤絵美)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~nagasawa/groups/sabaku.html

担当:長澤



登録種別:研究活動記録
登録日時:Wed Jan 31 08:06:30 2018
登録者 :長沢・後藤・藤岡
掲載期間:20171203 - 20180303
当日期間:20171203 - 20171203