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東文研セミナー「農民文学/農村問題から民俗学史を拡張する」(シリーズ「フィールドとしての農村・再考」Part.1 )(科研「「野の芸術」論―ヴァナキュラー概念を用いた民俗学的アート研究の視座の構築」(研究代表者:菅豊)第7回研究会)が開催されました

報告

 2020年12月6日(土)13時から東文研セミナー「農民文学/農村問題から民俗学史を拡張する」(シリーズ「フィールドとしての農村・再考」Part.1が開催された。本研究会は、菅豊教授(東京大学)を研究代表とする科研プロジェクト「「野の芸術」論―ヴァナキュラー概念を用いた民俗学的アート研究の視座の構築」の第7回研究会である。
 研究会の開催にあたり、まず加藤幸治教授(武蔵野美術大学)から「課題としての「土」―もうひとつの「野の学問」の水脈―」と題し、民俗学が成立する過程において、民俗学の「正史」に登場しない人々の、農村における様々な実践性を問うという本研究会における問題提起がなされた。
 続いてこの問題提起に対して、今井雅之氏(宮城県教育庁)から「吉田三郎・幻の農民文学「我田引水」」、内山大介氏(福島県立博物館)から「体験と実践のフィールド学―昭和期東北の農村問題と山口弥一郎―」と、戦前から戦後にかけて農村を舞台に繰り広げられた、いわゆる民俗学の「正史」に登場しない人物の実践について紹介と考察が進められ、全体討論に向けた話題が提供された。
 研究発表後、両発表者それぞれに菅教授からコメントと質疑応答があり、続いて加藤教授も交えた全体討論が行なわれた。その後、約50人の参加者も交え活発な質疑応答や討論が交わされた。
 なお研究会当日は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う感染症予防の観点から、オンライン会議アプリケーションであるZoomを活用したリモート会議形式で開催された。

 ※本研究会はJSPS科研基盤B「「野の芸術」論―ヴァナキュラー概念を用いた民俗学的アート研究の視座の構築」(研究課題/領域番号19H01387)の研究成果である。

当日の様子

開催情報

日 時:2020年12月6日(日)13:00~16:00

会 場:オンライン開催(オンライン会議システムZoomを使用)

コーディネーター:加藤幸治(武蔵野美術大学)、内山大介(福島県立博物館)、菅豊(東京大学)

タイムテーブル:
13:00~13:20 問題提起:加藤幸治「課題としての「土」―もうひとつの「野の学問」の水脈―」
13:20~14:40 発表1:今井雅之(宮城県教育庁)「吉田三郎・幻の農民文学「我田引水」」
発表2:内山大介「体験と実践のフィールド学―昭和期東北の農村問題と山口弥一郎―」
14:40~14:50 休憩
14:50~15:50 討論(加藤幸治、今井雅之、内山大介、菅豊)

趣旨:

 民俗学の「野の学問」としてのあり方が問い直されて久しい。
 それは単に、近代日本におけるアカデミズムの動向とは異なる「出自としての在野性」、すなわち「野(や)に在ること」のみをさすものではなかった。調査者のフィールドワークは、意図する・しないに関わらず社会関与的な性格を持つ。そうした民俗学の実践性に、学問としての存在意義や有用性を見出そうとするなかで「野の学問」は議論の俎上にあげられた。今日の民俗学におけるフィールドワークは、文字通りの“野外調査”をさすだけでなく、「問いの舞台としてのフィールド」すなわち「野(の)=実践のフィールドを持つこと」と不可分なものとなっている。

 戦前の民俗調査は、方言の採集などの目的のみならず、調査の行為そのものが郷土の理解、農村の振興、生活の改善といった国民的な課題とも結びついていた。一方で、民俗学が確立していく1930年代において、農村(あるいは田園)は、人間性の復権のための最前線であり、確固たる存在としての個人を追求する者の葛藤の舞台でもあった。
 「問いの舞台としてのフィールド」を深く追求しようとした当時の営みのひとつとして、農民文学がある。農民文学は、もともと自然主義文学から展開し、社会の現実と不条理との葛藤のなかで、人間性の不屈や労働に生きる人間像を描き出すことを目指した文学運動である。都市生活や工場労働等による人間疎外や、近代社会における個人の葛藤などを遠因としつつ、農民の日々の労働に依拠した詩や小説等の文学的表現、農民や共同体のあるべき姿がこれを通じて模索された。こうした問いは同時代的な共感を得ることもあれば、ラディカルな政治思想へと結びつき弾圧の対象となることもあった。
 一方で、より個人的な実践の形として農村での労働に向かった人々のなかに、民俗学との接点を持つ者も少なくなかった。吉田三郎は、秋田・男鹿の脇本村をフィールドとして、自らの生活の実践と記録、そして農民としての文学表現に身を投じた人物である。学史においては『男鹿寒風山麓農民手記』(1935年)および『同・農民日録』(1938年)で知られるが、未完の農民文学『我田引水』および戦後の著書からは、彼の現場における”問い”に触れることができる。
 もうひとつの「問いの舞台としてのフィールド」へのアプローチは、現実の農村問題と向き合うフィールドワークである。地理学や社会経済学などの訓練を積んだ者のなかには、生活の理解という接点から民俗学に近接する者も少なくなかった。民俗学は、生活の理解という目的においてさまざまな分野から乗り入れることができる「学際」、すなわち中間領域であった。『津波と村』(1943年)で知られる山口弥一郎の東北の地域研究、とりわけ彼が扱った過疎・開拓・災害のテーマにおけるフィールドとしての農村の意義は、改めて問い直してみる必要があろう。

 こうした農村を舞台とした同時代の実践を、趣味の世界の拡張、農村青年教育、田園をめぐる美術史や美学、文化記録映画といった民俗学の外史とともに見ていくことで、この学問そのものの外貌をどのように描き直せるであろうか。それは戦後の民俗学にどう引き継がれ、あるいは断絶してきたか。そして、現代におけるわたしたちのフィールドでの実践はどこへ向かっていくのか。
&esmp;本シリーズ「フィールドとしての農村・再考」では、こうした問題意識を深めるための研究を通じて、現代における民俗学の座標軸を測り直してみたい。

共催:「野の芸術」論研究会(科研「「野の芸術」論―ヴァナキュラー概念を用いた民俗学的アート研究の視座の構築」グループ(研究代表者:菅豊))、東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける「民俗学」の方法的課題」研究会(主任:菅豊)、現代民俗学会

担当:菅



登録種別:研究活動記録
登録日時:WedDec0919:42:582020
登録者 :菅・川野・藤岡
掲載期間:20201210 - 20210306
当日期間:20201206 - 20201206