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東文研セミナー「商店街は滅びるのか?―ポスト・「三丁目の夕日」時代のアクチュアリティ―」のご案内

オープンキャンパス2013

日 時:2013年9月28日(土)13:00~
場 所:東京大学東洋文化研究所・3階大会議室(本郷キャンパス)
登壇者:
 発表者:
  新雅史(学習院大学非常勤講師)
   「商店街とはいかなる空間なのか」
  竹川大介(北九州市立大学教授)
   「メディア=媒体としての市場―世界と私の間にあるものを考える―」
 コメンテーター:
  塚原伸治(日本学術振興会特別研究員/東京大学東洋文化研究所)
 コーディネーター:
  塚原伸治菅豊 (東京大学東洋文化研究所教授)


趣旨:

商店街に魅力を感じる人は今なお多い。映画版「三丁目の夕日」が大ヒットしたことは記憶に新しいが、それが昭和30年代ブームあるいは昭和レトロブームと呼ばれるような現象と同様の、ノスタルジックな欲求に支えられたものであったことは間違いない。商店街の活力が失われ、「シャッター商店街」が目立つようになっているという現状との対比もあり、失われつつある(あるいは失われた)かつての価値が商店街という場に過剰に与えられてきた。

このような「三丁目の夕日」幻想、あるいはそれを支えるノスタルジーに対して、私たちが自覚的であることは常に重要である。しかし、実際の現場に今いちど目を向けてみれば、商店街の現実がすでにその先に進んでいることも、また理解されるであろう。当事者によってすでにじゅうぶん自覚化され、資源化されている「商店街」を取り巻く言説を偏ったものとする、民俗学のフォークロリズム批判の視点のみでは、現場をアクチュアルに描き尽くすことはできない。ましてや、「下りたシャッター」を再び「上げる」ことなどできるはずもない。

いまや商店街という場には、商店街で商いを営む人びと以外にも、行政や専門家、コンサルタントなど、様々な立場とスキルをもつアクターがすでに深く入り込んでいる。そのような場で、既存の関わり方とは異なる方法を意識するふたりの研究者―社会学者と人類学者―が、知識生産と社会実践に関わっている。彼らは、大文字の学知による「商店街の活性化」とは異なる道筋の可能性を模索している。

おそらく、彼らがその先に採用する方法は、商店街の衰退という「問題」を所与のものとし、その「問題解決」の処方箋を簡単に発行するようなものではなく、フィールドの人々に寄り添い、人びととの関わりのなかで課題を発見し、その課題へと向き合う複雑な応答と、多声的な解を人びとの動きのなかに探し求める民俗学的方法と重なり合うのであろう。本研究会では、このような「三丁目の夕日」幻想批判を越えた現実について、商店街で活動するふたりの研究者の実践をもとに、商店街のおかれた現実と、進み行く将来とを展望する。そして、さらに、その具体的な検討から、民俗学的手法の彫琢にむけた議論へと展開したい。


新雅史(学習院大学非常勤講師)
「商店街とはいかなる空間なのか」
 商店街はどのような空間なのか――それは、素朴であるように見えて、答えるのがやっかいな問いである。一定程度に商店が集積することを指すならば、スラムもそれに当てはまるし、ひとつの建物にテナントが集積しているショッピングモールも商店街となるだろう。結論先取でいうならば、商店街はスタティックな定義がむずかしい規範的構築物である。以上の観点から、商店街がどのような文脈から言説化され、それが国土に埋め込まれ、かつそれが主体化していったかを議論する。

竹川大介(北九州市立大学教授)
「メディア=媒体としての市場―世界と私の間にあるものを考える―」
 北九州市の生鮮市場に「大學堂」という店舗を持って5年が過ぎた。学生たちと週5日店を開けている。2階にはギャラリーである「屋根裏博物館」や、宿泊ができる「大王の間」も作った。そこが市場だから商売もする。投げ銭音楽ライブもする。旅人が立ち寄る。このごろは縁台将棋がはやりはじめた。つまり世界と私をつなげるメディアである。発表では、ここで実際になにが起きつつあるのかをつまびらかに報告するので、この現象をなんと呼べばよいのか教えてほしい。

主催/共催:「新しい野の学問」研究会(科研「現代市民社会における『公共民俗学』の応用に関する研究―『新しい野の学問』の構築―」(代表者:菅豊・東京大学東洋文化研究所教授))/ 東京大学東洋文化研究所班研究「東アジアにおける『民俗学』の方法的課題」/ 現代民俗学会



登録種別:研究会関連
登録日時:WedAug2110:36:212013
登録者 :室井康成
掲載期間:20130821 - 20130928
当日期間:20130928 - 20130928