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東文研セミナー「明治のオスマン帝国人 ムスタファ・ビン・ムスタファの見た亜細亜—マレー、インド世界を中心にー」のお知らせ

 東文研セミナー「明治のオスマン帝国人 ムスタファ・ビン・ムスタファの見た亜細亜—マレー、インド世界を中心にー」を開催いたします。

 今回は長くトルコに在住されて建築史の研究を進めて来られたジラルデッリ青木美由紀さんをお迎えして、オスマン人の旅行記から見えてくる明治期のオスマン帝国と日本・インド・東南アジアとの関係についてお話しいただきます。
 多くの方のご参加をお待ちしております。


日時:2019年7月2日(火)17:30-19:00

開催場所:東京大学東洋文化研究所3階第一会議室

発表者:ジラルデッリ青木美由紀(東京大学生産技術研究所海外協力研究員)

コメンテーター:秋葉淳(東京大学東洋文化研究所)

司会:池亀 彩(東京大学大学院情報学環・東洋文化研究所)

要旨:
 明治の日本とオスマン帝国といえば、軍艦エルトゥールル号の悲劇的な事件(1890)が有名だが、その二年後スルタンから派遣され、人知れず日本を訪れたオスマン帝国人がいた。イスタンブルの人ムスタファ・ビン・ムスタファは、メッカ巡礼の帰り、旅をしたいというそれだけの理由から、アラビア半島のイエメンに留まり、仕事を見つけ、サナア市長だったある日、オスマン政府外務省から指令を受ける。驢馬の背中に乗ってサナアを出発、アデン、ムンバイ、カルカッタ、ラングーン、コロンボ、ニコバール諸島、シンガポール、ジョホール王国、サイゴン、香港、広州、上海、横浜、東京、神戸、大阪、京都、長崎を2年弱かけて見聞した。帰国後ムスタファは、旅行記『Aksâ-yı Şark’ta Bir Cevelân(極東逍遥)』をまとめ、スルタン・アブドゥルハミット二世に献呈した。
 公衆浴場から薬草、人力車から博覧会、産業化まで、明治日本で「ジョホール語」を駆使して様々な観察をしたムスタファは、マレー、インド世界では何を見たのか。本発表では、 ムスタファの日本観察も紹介しながら、インド、マレー世界のムスリムとオスマン帝国の関係を考察する。

ジラルデッリ青木美由紀(じらるでっりあおきみゆき)
 1970年福岡県生まれ。美術史家。 早稲田大学第一文学部、同大学院文学研究科(修士)修了後、文部省アジア諸国等派遣留学生としてトルコ共和国に留学、イスタンブル工科大学大学院にて博士号(美術史)取得。文学博士。日本学術振興会特別研究員、同海外特別研究員(PD)、MIT客員研究員、ボアジチ大学非常勤准教授補、イスタンブル工科大学非常勤准教授補、国際日本文化研究センター外国人研究員、グラハム財団助成研究、ノースカロライナ大学チャペル・ヒル校客員講師を歴任。研究拠点をイスタンブルに置き、東京大学生産技術研究所協力研究員、国際日本文化研究センター共同研究員。専門はオスマン建築史、美術史。関心は、東西の文化的遭遇と、非西洋諸国での視覚芸術の近代化、最近は、オスマン帝国とアジアのムスリムに興味がある。博士論文『レオン・パルヴィッレ:オスマン的近代の階に立つフランス人芸術家』(2002年イスタンブル工科大学)、著書『明治の建築家 伊東忠太 オスマン帝国をゆく』(2015年、ウェッジ、紀伊国屋じんぶん大賞第六位)、編著『オスマンの宮殿に吹く日本の風』(トルコ国立宮殿局、2013年)、『オリエントの東』(思文閣出版、2019年9月刊行予定)『芸術新潮』大特集「永遠のイスタンブール」(2012年9月号)のほか、 展覧会キュレーション「どこに?・ここに? トルコ美術の現在」(埼玉県立近代美術館)、「イスタンブルの三人の日本人:山田寅次郎・伊東忠太・大谷光瑞」(イスタンブル・リサーチ・インスティチュート、イスタンブル)、「オスマンの宮殿に吹く日本の風」(ドルマバフチェ宮殿美術ギャラリー)。NHK BS「世界遺産 時を刻む」、BS日本テレビ「中谷美紀トルコ紀行」の案内役など、テレビ出演でも活躍中。

担当:池亀



登録種別:研究会関連
登録日時:ThuJun2013:53:072019
登録者 :池亀・田川
掲載期間:20190621 - 20190702
当日期間:20190702 - 20190702