現代世界を理解するためにはイスラームとジェンダーをめぐる問題を考えることが不可欠です。こうした問題をめぐる学問領域の構築は重要な課題の一つであり、この度そのための共同研究プロジェクトが始まりました。本キックオフ・シンポジウムでは本研究の意義や課題、方法論や方向性について話し合いました。
【日時】
2016年6月11日(土) 13:30-17:30
【場所】
東京大学 東洋文化研究所 3F 大会議室
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/access/index.html
【プログラム】
開会の言葉・趣旨説明: 長沢栄治 (東京大学 エジプト近現代史)
総合司会:後藤絵美 (東京大学 現代イスラーム思想・文化)
第一部 私の研究とジェンダー(13:45-14:30)
鳥山純子 (JSPS/桜美林大学 人類学・ジェンダー)
阿部尚史 (東京大学 イラン史)
宇野陽子 (東京大学 国際関係論・トルコ近現代史)
第二部 イスラーム・ジェンダー学の可能性(14:30-15:15)
大河原知樹(東北大学 中東地域研究)
松尾瑞穂 (国立民族学博物館 文化人類学)
齊藤みどり(帝京大学 英語圏文学・ジェンダー)
第三部 共同研究への期待(15:30-16:15)
臼杵 陽 (日本女子大学 現代中東政治・国際関係論)
黒木英充 (東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 シリア・レバノン近代史)
足立眞理子(お茶の水女子大学 国際経済学・ジェンダー論)
全体討論・今後について(16:15-17:30)
閉会の言葉:鷹木恵子 (桜美林大学 文化人類学・マグリブ地域研究)
【主催】
科学研究費「 イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究」(代表:長沢栄治)
【共催】
お茶の水女子大学 ジェンダー研究所
東京大学 東洋文化研究所 班研究「中東の社会変容と思想運動」
2016年6月11日(土)に、東京大学東洋文化研究所で、科学研究費基盤研究Aイスラーム・ジェンダー学構築のための基礎的総合的研究(代表:東京大学 長沢栄治)のキックオフ・シンポジウム「イスラーム・ジェンダー学の構築に向けて」が開催された。当日は90名を超える参加者を得て、一時は立見の方も出るほどの大盛況となった。
シンポジウムでは、はじめに代表者の長沢栄治氏より趣旨説明があった。このプロジェクトは、すでにある研究を結びつけ、また新たな研究の創成を呼びかけることで、研究のプラットフォームを作る目的があるという。そこでは、イスラーム学、ジェンダー学、地域研究の精緻化というよりも、「イスラーム」と「ジェンダー」の間にある「・」の中に多様な学問領域を含めることで、新たな学問の風景を見ようとするものである。シンポジウムは「私の研究とジェンダー」、「イスラーム・ジェンダー学の可能性」、「共同研究への期待」という三部に分かれ、それぞれ三人の先生方からの報告があった。その中には、人類学、歴史学、地域研究、英文学、国際関係論、国際経済学など、実に多様なディシプリン、研究対象地域を持つ方々が含まれており、これまでジェンダー概念を研究に取り入れてこられなかった方も、ジェンダーを中心に研究されてこられた方もいた。最後の足立先生のコメントにもあったが、イスラームとジェンダーを語るときに問題とされる欧米中心主義と文化相対主義のいずれにも与さない、それらを超える理論への挑戦がこれから始まるのである。会場に漂う混沌(カオス)の状態が、ここから何か新しいものが生まれてくるに違いないという予感を抱かせるシンポジウムとなった。
(文責:鹿児島大学 森田豊子)
正直に申し上げると、本シンポジウムの感想執筆を依頼された際、私は一度断りのメールを入れている。その理由として、シンポジウム参加までこの科研に関わっておらず経緯がわからないことと、自分自身がイスラームとジェンダーいずれの方向からも「イスラーム・ジェンダー学」の見通しについて語る言葉をもたないという意識があった。
一方で今回の一連の報告では、報告者が自らを「門外漢」と称する場面がたびたび見られたように思う。私を含みそのような認識が共有される大きな要因として、鳥山報告が指摘したように、「イスラーム」と「ジェンダー」双方が事象としても概念としても多様な要素を含み、「ブラックボックス」のように感じられている、ということがあげられるだろう。私のフィールドにおいても、イスラームに対する批判者が、ヴェールの問題や名誉殺人といった事象をあげつらって、「ジェンダー」問題の視点から「イスラーム」を攻撃するのに対し、擁護者はそれらの問題は本来の「イスラーム」の姿ではないと切り返す、といった循環論が展開されている。観察する私は、こうした議論を本質主義的であると批判しようとするが、これも循環論に参加するに過ぎない。皆が「ブラックボックス」の周りをぐるぐる回っているのである。
そう考えたとき、「ブラックボックス」を敢えて開けようとするこのプロジェクトの出発にあたり、これらを前にして途方に暮れるばかりであった者がこの場に居合わせたことを告白することにも、一定の意味があると思いなおした。この告白にあたり、2大「ブラックボックス」に正面から挑むことは厳しくとも、間に置かれた「・」からアプローチすることが可能であるという示唆が、特に重要であったと考えている。
(文責:東北学院大学 石川真作)
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