7月15日、タマサート大学のキティ・プラサートスック教授を講演者として迎え、「タイの国際秩序観の変遷: 前近代期から21世紀への中国・日本・アメリカとの関係形成と変化」をテーマとしたセミナーが開催された。
参加者は対面が約30名、オンラインが約70名、計約100名と多数で、本テーマへの高い関心が示された。
なお、本セミナーは東京大学東洋文化研究所が日本学術振興会(JSPS)研究プロジェクト「東アジア国際秩序の歴史的形成過程:非西洋国際関係理論と地域研究の接合」の一環として主催し、東京大学未来ビジョン研究センター安全保障研究ユニットも共催として参画した。
キティ・プラサートスック教授は、前近代以降におけるタイ外交の展開を4つの時代区分を通じて包括的に分析した。そして、タイ外交において3つのパターンが反復されることを指摘した。それは、実用主義と柔軟性(「竹の外交」)、変化する環境への適応性、そして国際的関与への開放性である。
プラサートスック教授の分析によれば、前近世時代(1351-1855年)には、タイは中国の朝貢システムに参加する一方で、外国の貿易商人らと交流し、西洋列強との結びつきを深め、多様な国際的人材を政府高官に登用していた。近代化時代(1855-1945年)には、西洋式の制度改革と外交関係の多角化を通じて西洋主導の国際秩序への戦略的適応が見られた。冷戦時代(1945-1991年)には、タイは米国主導の同盟システムを受け入れた。現代(1991年-現在)には、特に直近の20年において、国内の政治的分裂を抱えつつ、米中の競争の中で外交のかじ取りをどうするかという課題に直面している。
日本の役割について、プラサートスック教授は、アユタヤにおける山田長政の軍事的指導力、第二次世界大戦前のタイ・仏領インドシナ紛争における帝国日本の支援、そして1997年のアジア通貨危機後の日本の経済的リーダーシップを列挙しながら、タイ外交史を通じた日本の「ワイルドカード」としての役割を強調した。
第一討論者のパッタジット・タンシンマンコン講師は、「竹の外交」の言説を、実証的根拠に基づく戦略というよりも「創られた伝統」(invented tradition)である可能性があると批判した。また、この言説枠組みが外交上の成功を選択的に強調する一方で、矛盾や誤算や暴力といった観点を軽視している点を指摘した。
第二討論者の佐橋亮教授は、規範的考慮と実用的利益の間の緊張、すなわちタイ外交における民主主義規範と地政学的ヘッジング戦略の影響力のバランスについて質問をした。
タンシンマンコン講師のコメントに対し、プラサートスック教授は報告ではタイ外交の標準的な言説を提示したが、それが西洋諸国による植民地化や第二次世界大戦における敗戦国としての地位、また共産主義革命からタイが免れてきた要因を説明するものでもあること、しかし同時にその批判的検証の有用性を認識していると返答した。また同教授は、タイ外交における政策決定は小さなエリート集団によって行われてきたために、国民アイデンティティが複雑となった点を強調した。また、客観的、現実的にはタイが近隣諸国と比較して、主要国との関係管理において優れた成果を上げてきたことも指摘した。
佐橋教授のコメントに対してプラサートスック教授は、民主的価値観が1990年代のタイの民主化の時期に出現したと説明し、スリン・ピッスワン外相のミャンマーに対する柔軟関与政策を例に挙げた。他方、過去20年間のタイにおける民主主義の後退により、地域において規範的な課題を擁護する能力が弱体化したことも指摘した。
質疑応答セッションでは、中華的朝貢枠組みを超えた前近世東南アジアの国際システムについて質問があった。プラサートスック教授は、中国の広範な朝貢枠組みに参加しながらも、地域大国が地域内のリーダーシップを追求する「マンダラ国家」のサブシステムの存在について言及した。
また、タイの内政における分断が外交政策の方向性にどのような影響を与えるかという質問に関して、プラサートスック教授は、保守派は強力な指導力と経済的利益の観点から中国よりの立場を取る傾向があり、一方で進歩派は民主的価値観と西洋とアジアにおける先進民主主義国を支持する傾向があると詳述した。
グローバル・サウスとグローバル・ノースにおけるタイの立場に関する質問では、プラサートスック教授は、タイが農業、医療サービス、グローバルヘルス、特に熱帯病の分野において潜在的な指導力を持ちながらも、明確な大戦略と外交的立場の提示を欠いていることに懸念を表した。
本セミナーは、タイ外交の継続性と進化の両方を提示すると同時に、現代のタイ外交の実践面そして分析面の両面における課題に光を当てることに成功したといえる。
講演題目:「タイの国際秩序観の変遷:前近代期から21世紀への中国・日本・アメリカとの関係形成と変化」
講演者: キティ・プラサートスック教授(タイ・タマサート大学政治学部教授)(略歴は以下を参照)
日時:2025年7月15日(火)午後3:00-5:00(JST)
会場:東京大学東洋文化研究所 大会議室 & Zoom(ハイブリッド形式)
使用言語:英語
討論者:
●パッタジット・タンシンマンコン 講師(東京大学大学院学際情報学府・東洋文化研究所)
●佐橋 亮 教授(東京大学東洋文化研究所)
司会:佐橋 亮 教授
講演要旨 :
本講演は、前近代期以降におけるタイの地域秩序および国際秩序認識の歴史的展開を考察し、とりわけ戦後期以降において、タイがいかに変動する国際秩序に適応してきたかを分析する。すなわち、朝貢体制、植民地主義からの影響、現代の国際政治環境を通じて、アジアおよび西欧諸国、特に中国、米国、日本に対するタイの認識の変遷を検討する。さらに、現在の米中対立や「トランプ2.0」による既存の国際秩序の混乱に対するタイの対応を検討し、リベラルな国際秩序の維持における日本の役割についても提言を行う。
講演者略歴 :
キティ・プラサートスック氏は、タイ・タマサート大学国際関係学教授であり、タイ外務省国際問題研究センター(ISC)諮問委員を兼任する。これまで、同大学副学長(国際関係担当、2018-2021年)、東アジア研究所所長(2013-2018年)を歴任し、タイ国防省戦略委員会委員(2014-19年)として政策立案にも関与した。
プラサートスック教授は南カリフォルニア大学パブリック・ディプロマシー・センター非常勤研究員(2023-2024年)を経て、現在は国際交流基金研究員(2024-2025年)として九州大学において「地方創生」に関する研究に従事している。カリフォルニア大学バークレー校客員教授として「東南アジア国際関係論」を教え、オーストラリア国立大学、ミュンヘン大学、早稲田大学、北京大学、復旦大学、高麗大学校、延世大学校等の様々な大学においても講演を行なってきた。また、コロンビア大学、日経フォーラム、北京フォーラム、済州フォーラム、東南アジア研究所(ISEAS)ユソフ・イシャク研究所等に招かれ講演を行なった。
慶應義塾大学にて修士号を取得後、カリフォルニア大学バークレー校にて博士号を取得した。米タイ同盟、日本・東南アジア関係、ASEAN、海洋安全保障、タイ政治等の幅広い分野において多数の著作がある。近著に、Thailand,” in Hall, Lee Brown, and Strating (eds.), Blue Security in the Indo-Pacific (Routledge, 2025)がある。
主催:
東京大学東洋文化研究所
東京大学未来ビジョン研究センター安全保障研究ユニット
JSPS科研費「東アジア国際秩序の歴史的形成過程:非西洋国際関係理論と地域研究の接合」