【日時】 2023年1月19日(木)14時~16時
【会場】オンライン(Zoomミーティング)
【申込方法】
登録フォーム ( https://forms.gle/Teq2dfkbLSufWQEJ8) より、1月18日(水)正午までにお申し込みください。
お申し込みいただいた方には、19日午前までにZOOMミーティング入室用リンクをお送りいたします。
【題目】渡来銭再考
【発表者】黒田 明伸 (東京大学東洋文化研究所・教授)
【司会】髙見澤 磨(東京大学東洋文化研究所・教授)
【コメンテーター】中島 圭一(慶応義塾大学文学部・教授)
【使用言語】日本語
【要旨】
本報告は、中国古銭(多くは北宋年号の銭銘)の日本中世における流通に関する4つの疑問について解答を与えることを目的とする。第一に、12世紀まで主として米と布で値を建てて交易していた日本に、なぜ12世紀末から14世紀にかけて大量の中国古銭が流入したのか。答えは、もともと素材価値が額面を上回っていた古銭が、南宋と元による鉄銭・紙幣代替のための銅銭の過低評価そして廃貨政策により、仏像、銅鐘、銅鏡などの素材として日本にもたらされたためである。素材需要の高さは銅銭を市場での交易の手段としても普及させていくが、素材需要が強いため、14世紀までは銅銭を撰ぶことがおこらない。第二に、それではなぜ15世紀から環シナ海全体で撰銭が社会問題となるのか。答えは、日本国内で1400年前後に酸化銅鉱よりはるかに埋蔵量の多い硫化銅鉱の精錬がはじまり、銅価格が数分の1に下落。その結果、すでに租税納入や土地取引の手段として普及していた古銭と、廉価な銅をもって鋳造される模造古銭(新銭)との差別化がシナ海をまたいで起こったからである。鮮明な銭銘を鋳だすには錫の十分な含有が必要だが、錫貿易を中継する福建が新銭生産の拠点となり、日本は粗銅を輸出して精銭として通用しうる模造古銭を輸入することになる。第三に、なぜ精銭建ての高額面取引が16世紀第4四半世紀の日本で消滅したのか。答えは、還流性が低い小額面通貨建ての取引の維持には追加供給が必要だが、非公式鋳造の模造古銭を非公式交易で提供してきた福建南部が明軍に占拠されたことにより、精銭の追加供給が途絶えたため。これ以後、純銅に近い国産の模造中国古銭であるビタ銭が日本国内の取引での重要性を増す。第四に、そのビタ銭流通を容認してきた徳川幕府が、自国年号銅銭である寛永通宝をなぜ1630年代に鋳造するのか。答えは、中国の官銭鋳造が青銅(銅・錫・鉛)銭から真鍮(銅・亜鉛)銭へ万暦銭以降シフトし、1620年代に中国大陸での古銭溶解が急激に進む中、錫鉱山を開発した日本産の模造中国古銭が大量に朱印船貿易などを通じてベトナムなどにもたらされ、日本国内での街道筋などでの銅銭需給を逼迫させたため、銅銭流出を遮断する必要があった。総じて、模造も含めた中国古銭の中世環シナ海での盛行は、通貨の受領性は、権力の庇護に必ずしもよらず素材価値からも独立して生じるものであることを証明する。
【問い合わせ先】final_lecture_20230119 [at] ioc.u-tokyo.ac.jp
担当:黒田