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東文研セミナー「袈裟、山水與禪修——唐宋山水衲考略」のお知らせ

東洋文化研究所では、復旦大学文史研究院との学術交流協定に基づき、同研究院の李星明先生を招聘し、下記の要領にてセミナーを開催いたします。


【日時】 2019年2月7日(木) 14:00~16:00

【会場】 東京大学 東洋文化研究所 3階 第1会議室

【講師】 李星明(復旦大学 文史研究院 教授)

【題目】 “袈裟、山水與禪修——唐宋山水衲考略

【司会】 板倉聖哲(東洋文化研究所 教授)

【コメンテーター】 塚本麿充(東洋文化研究所 准教授)

【言語】中国語(質疑応答で日本語/中国語の通訳サポートがあります)

【概要】
 漢訳の四部律、すなわち『四分律』『十誦律』『摩訶僧祇律』と『彌沙塞部和醯五分律』には、僧侶の衣、すなわち上衣「僧伽梨」、中衣「鬱特羅僧」と下衣「安陀會」等の「三衣」、およびその色についての厳格な規定がある。すべて長方形に裁縫した「田相衣」で、「三衣」はすべて「袈裟」とよび、僧衣の色は「壊色」「不正色」もしくは「樹皮色」等、華やかな色目を避ける、とされる。しかし中国では気候と着衣慣習が異なることにより、「三衣」には変化が生じ、南北朝後期から初唐にかけて、中衣・鬱特羅僧と下衣・安陀會は「偏衫」と「直裰」に変化した。ただ上衣(外衣)僧伽梨のみはインド以来の「割截衣」のやり方を踏襲し、「袈裟」という言葉はもっぱらこの上衣を指すようになり、また「衲(納)」、あるいは「衲(納)衣」と呼ばれるようになった。ところが南北朝後期より、注目すべき「山水衲」というものが出現する。僧衣上に出現した山水文様と、南北朝時期に出現した山水詩と山水画の興隆とには密接な関係があるだろう。「山水衲」についての比較的初期の文献には、帝王が居士または高僧にこの種の山水衲を下賜することは居士と僧侶へ特別の恩典と地位を与えることを意味していた、とされる。現存する最も早い山水衲の図像として敦煌石窟隋代から初唐の壁画と塑像があるが、唐宋時代に山水衲が僧伽中で大変に流行したことは、現存する大量の図像によってそれを証することができる。一方、敦煌遺書中の『真言要決』と北宋元照『四分律行事鈔資持記』『佛制比丘六物図』より、山水衲の流行は厳格な戒律を保つ高僧たちの批判をも受けていたことがわかる。また禅僧たちはしばしば山水を以て仏法を説く比喩として用い、非常に多くの「山水公案」を残しており、このことが山水衲の流行の一助となったと言えよう。以上のことにより、山水衲が唐宋佛教文化のなかで発展し、山水画が発展したその仏教思想的な動因を見ることができるのである。

漢譯四部律《四分律》《十誦律》《摩訶僧祇律》和《彌沙塞部和醯五分律》,對僧人的衣著即上衣僧伽梨、中衣鬱特羅僧和下衣安陀會等三衣及其顏色有嚴格規定,均為割截縫製的長方形田相衣,三衣均稱為袈裟;僧衣的顏色為“壞色““不正色”和“樹皮色”等,避免使用鮮豔的純色。但是在中國,由於氣候和著衣習慣不同,三衣產生了相應的變化,南北朝後期至初唐,中衣鬱特羅僧和下衣安陀會逐漸被偏衫和直裰所代替。只有上衣(外衣)僧伽梨仍然保持印度的割截衣樣式,“袈裟”一詞遂專指此衣,或者稱為“衲(納)”或“衲(納)衣”。但是從南北朝後期開始,出現了引人注意的“山水衲”。僧衣上出現山水紋飾與南北朝時期山水詩和山水畫興起密切相關。關於山水衲較早的文獻記載,是記錄帝王賞賜居士或高僧這種山水衲,具有向居士和僧人示恩和擢升其地位的作用。現存最早的山水衲圖像見於敦煌石窟隋代初唐的壁畫和塑像。唐宋時期,山水衲在僧伽中普遍流行,現存有大量的圖像證據。一方面,從敦煌遺書中的《真言要決》和北宋元照《四分律行事鈔資持記》《佛制比丘六物圖》來看,山水衲的流行受到持戒嚴格的高僧的批評;另一方面,禪僧們往往以山水為喻開示佛法,留下諸多“山水公案”,对山水衲的流行推波助澜。由此,我們可以觀察山水衲在唐宋佛教文化中表現以及山水畫發展的佛教思想動因。

 


皆様のご参加をお待ちしております。

担当:板倉、塚本、黄



登録種別:研究会関連
登録日時:SatFeb0209:39:302019
登録者 :板倉、塚本、黄、藤岡
掲載期間:20190202 - 20190207
当日期間:20190207 - 20190207