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東文研セミナー「【国際ワークショップ】現代におけるムスリム知識人と伝統、知識、アイデンティティ / Producing Traditions, Knowledge and Identities: Muslim Intellectuals in the Contemporary World」 が開催されました

  本ワークショップは、新学術領域研究「グローバル関係学(グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて:関係性中心の融合型人文社会科学の確立)」の計画研究B01「規範とアイデンティティ:社会的紐帯とナショナリズムの間」の主催により、科研費基盤研究(A)「イスラーム・ジェンダー学の構築に向けた基礎的総合的研究」、東京大学(東洋文化研究所、日本・アジアに関する教育研究ネットワーク(ASNET))の共催を得て、2017年7月29日(土)の午後に東京大学東洋文化研究所大会議室で開催された。

oka   岡真理氏(京都大学)の司会のもと、「グローバル関係学」代表の酒井啓子氏が開会の辞を述べた。酒井氏は新学術領域研究プロジェクトの紹介を行うとともに、現代において個々のムスリム知識人に注目することの意義に言及した。また、近年の日本における中東研究の状況を概観し、2011年以降のアラブ革命や民主化運動への関心の高まりが一時的なものとなってしまったことや、中東の現状分析において、大きな枠組みに着目する政治学研究と個々の経験に着目する政治学以外の諸研究(人類学、社会学、歴史学、文学ほか)の協働が必要不可欠であることを指摘した。

goto   続いて後藤絵美氏がワークショップの目的を説明した。本ワークショップは、2015年以降に開催されてきたムスリム知識人の知と権威を扱う一連のシンポジウムや学会報告セッションの延長上に行われるものであり、その目的は、現代のムスリム知識人らが、自身の生きる時空間においてどのような役割を果たしてきたのか、その知識とアイデンティティが他者との関わりや様々なメディアを通じてどのように構築されてきたのかを、19世紀以降の中東諸国の事例から横断的に論じることであると述べた。第一部“Politics, Power, and Philosophy”では、知識人が生きる言説空間と政治権力の関係に着目する研究報告が行われた。

takao   高尾賢一郎氏の報告は、預言者ムハンマドの子孫「シャリーフ」のサウディアラビア社会における位置づけを考察するものであった。シャリーフはしばしば、サウディ王室と同盟関係を結んだシャイフ家に取って代わられた旧い権威として、あるいは神以外の存在を崇拝する逸脱行為を招きうる存在として、否定的に見られてきた。しかし1990年代以降、政府は、国内の反体制派イスラーム運動に対抗しうる勢力として、シャリーフの血統に属するウラマーであるムハンマド・アラウィーの局地的な活動を許容した。高尾氏の発表は、アラウィーの事例を例外的なものと位置づける一方で、サウディアラビア政府と、多元的な宗教的権威の緊張関係を示すものであった。

mu   ムハンマド・ムーサー氏は、シリア出身のウラマーであるジャウダト・サイードの急進的な平和主義とその意義を論じた。少数派民族の家系に生まれたジャウダト・サイードは、聖典のテクストへの直接的なアプローチや人類史に関する知見、自己批判の手法の検討を通じて、抵抗手段としての暴力をも否定する平和主義を提唱するようになった。市民的不服従を訴えることによってジハードを再定義し、人民によるボトムアップ型のエージェンシーを潜在的に支持するジャウダト・サイードの立論について、ムーサー氏は、宗教言説の再構築という意義をこえて、専制下のシリアにおいて特異な位置を見出した。

uno   宇野陽子氏の報告は、オスマン帝国末期からトルコ共和国の草創期にかけて活躍した政治家ルザ・ヌールの生涯と政治的主張を、19世紀末から20世紀初頭の政治史に関連付けて論じた。ルザ・ヌールのカリフ論は、トルコ至上主義に裏付けられた、国家によるカリフ制管理の道筋を示唆したものであり、同国における世俗主義のあり方を考察するうえで興味深いものであった。

  質疑応答では、高尾氏に対して、サウディアラビア王室と預言者の血統に連なるヨルダン王室の潜在的対立に関する質問があり、域内外の国際関係を視野に入れた活発な議論が行われた。また、ムーサー氏の発表に対して、ガンディーによる非暴力主義との比較、内戦下にあるシリアでの彼の影響力とメディアとの関係について質疑がなされた。宇野氏に対しては、ルザ・ヌールがトルコ至上主義を主張した背景を問う質問があり、彼の政治的主張が立脚する歴史的文脈が確認された。

(以上報告:黒田彩加[日本学術振興会特別研究員PD/立命館大学])


  第二部は、教育、科学技術、ジェンダーの各テーマについて、3人の報告者が登壇した。

  最初に幸加木文氏から、現代トルコの市民社会組織における世俗的な教育と宗教的な教育活動の展開について、それぞれ顕著な推進者であるテュルカン・サイランとフェトフッラー・ギュレンの思想および活動を取り上げた報告があった。幸加木氏は、両者が若者世代へ現代的な教育の機会を提供することを提唱し実践している点で共通しているが、彼らの教育活動がそれぞれ世俗的な社会維持と宗教的な社会醸成を目的としている点で相違がみられると論じた。

  次に澤井真氏から、近代におけるムスリム知識人が西欧の科学技術をどのように受容しようとしたのか、ムハンマド・アブドゥフのスーフィー批判を中心に分析した報告があった。澤井氏は、アブドゥフが西欧的な教育を受け、その教養とイスラームの知識を合わせて自らの主張を展開したことを述べるとともに、アブドゥフの批判の対象となったのがスーフィズムという思想そのものではなく、エジプトの近代化やイスラームの改革運動に反すると彼がみなしたスーフィー個々人や彼らの集団であったことを示した。

  最後に後藤絵美氏から、ジェンダーに関する問題について聖典の再解釈がどの程度まで可能であるか、19世紀末から20世紀前半に活躍したカースィム・アミーンと現代の女性解釈者であるアミーナ・ワドゥードの二人に着目して報告があった。後藤氏は、イスラームの伝承に関する知識やその扱いが時代によって変化しうるという主張があったこと、実際にジェンダーに関連して変化がみられたこと、そしてそれらの再解釈の担い手となったのがそれぞれの時代における新興の知識階層であったことを指摘した。

(以上報告:徳永佳晃[東京大学大学院])。


  6つの発表の後、三名のコメンテーターが登壇し、諸報告に対する講評・質問を行った。岡崎弘樹氏は、自身が専門とする19世紀後半から20世紀前半にかけてのアラブ思想史や当時の知識人との比較の観点から、第一部の発表者に対して質問した。水谷周氏は、イスラームという一つのパラダイムの中には知的な多様性が存在するので、ムスリム知識人がこの多様性に寛容である必要性があることを指摘した。また、第二部の発表者に対して、それぞれの研究が、実践的な政策立案にいかに役立ちうるかという観点から質問した。ラルビー・サディーキー氏は、それぞれの発表が、イスラーム世界において多様な思想が生み出されていることを示したとして評価した上で、思想家の手紙などの手書きの資料を使う余地、方法論的な厳密さの向上の余地、イスラームという観点以外からもアイデンティティの問題を考える余地があると指摘した。

  質疑応答では、それぞれの発表の学術的意義を示す必要性の指摘や、思想家と社会の相互関係についても分析したほうがよいとの意見などが出た。

  閉会の辞では、「イスラーム・ジェンダー学」科研代表の長沢栄治氏が、ジェンダーとの関連や、伝統・知識・アイデンティティの創造、思想家が社会においていかに信頼を得るかといった問題について、今後、さらに議論を深めていくことが期待されると述べた。

(以上報告:早川英明[東京大学大学院])

  5時間に及ぶワークショップであったが、若手登壇者による意欲的な報告と、未来への希望や期待に満ちたコメンテーターらの建設的な発言、そして、30名ほどの参加者による活発な議論によって、あっという間に時間が過ぎてしまったようであった。本ワークショップの続編および成果刊行に向けた今後の努力が大いに期待される。

(報告まとめ:後藤絵美)




登録種別:研究活動記録
登録日時:MonAug2113:43:282017
登録者 :長澤・後藤・藤岡
掲載期間:20170729 - 20171029
当日期間:20170729 - 20170729