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東洋学研究情報センターセミナー 「映画から見る中東社会の変容 (『アッバス・キアロスタミ=その人間像:一つのイラン的な見方』)」が開催されました

報告

 2017年7月4日はアッバス・キアロスタミの一周忌にあたる。それに際して、映画『風が吹くまま』を題材として、キアロスタミの人間像を考える研究会を開催した。
 映画監督として世界的に名声を博したキアロスタミは、写真家、グラフィスト、画家、詩人など色々な顔も持つ芸術家であった。また映画製作においても監督だけではなく、脚本家、プロデューサーや編集者としても辣腕を振るっていた。
 加えて、キアロスタミは商業映画と距離を置いたこともあり、イラン国内においては典型的な「知識人」としてみられていた(いる)。けれども、彼の作品や社会的活動を鑑みると、キアロスタミと一般的な知識人像との間には乖離があると思われる。つまり、彼は反権力的でも、進歩的でもなかったということだ。キアロスタミは日常の政治との関わりを敬遠し、国家権力がどれほど横暴であっても抵抗することがほとんどなかった。しかし、政治に無関心だったわけではなく、革命をはじめ激動の時代を生きた彼は、一時的な社会の雰囲気に左右されずに、冷静に政治の現状を把握しようとしていた。この姿勢はその作品から読み取ることができる。また、キアロスタミは、例えば女性に関わる問題など、イランの進歩主義者が関心を強く寄せるテーマに関して、然程の注目も払っていなかった。さらに彼の生き方は「ネイティビスト」で「近代化懐疑論者」の側面を強く感じさせる。
 映画製作において、キアロスタミは多くの短編または長編の劇映画やドキュメンタリーをつくっており、そのジャンルも多岐にわたる。イラン国内外において最も評価の高い作品は、『そして人生はつづく』(1992年)、『オリーブの林をぬけて』(1994年)、『桜桃の味』(1997年)、そして今回取り上げた『風が吹くまま』(1999年)である。とくに『風が吹くまま』には、キアロスタミの「哲学」が最も顕著に表れているといえる。これらの作品では二つの対立軸でストーリーが展開される——「農村」対「都市」と「一般賢人」対「知識人」。キアロスタミは明らかに前者を褒め、後者に疑問符を投げかける。美しい自然を通じて育んだ英知をもつ正直者で勤勉な村民が称賛されるのである。
 それだけではない。これらの作品からキアロスタミ自身の「死生観」も読み取ることができる。彼は独自の視点から「生きる」意味を説こうとし、そこで「小さな幸せ」、「ポジティブな生き方」や「自然の神秘の発見」を賛美する。この点については「イスラーム(シーア派)」及び「イラン」的な死生観との乖離も否定できない。そして、もちろんそうした乖離には、時代的背景があり、革命や戦争や政治弾圧で多くの犠牲者を出した1980年代のイランの歴史がある。またもう一つ、注目すべきは、従来の作品とは違って、この4つ作品からは、オプティミストなキアロスタミを垣間見ることができることである。

(報告:ケイワン・アブドリ:中東映画研究会)


開催情報については、東洋学研究情報センターの記事をご覧ください。

担当:長澤



登録種別:研究活動記録
登録日時:MonAug2112:03:422017
登録者 :長澤・後藤・藤岡
掲載期間:20170705 - 20171005
当日期間:20170705 - 20170705