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第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)が開催されました

2015年1月15日(木)、森本一夫准教授による定例研究会が「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」と題して開催された。

報告

第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)
 森本氏がその手控帳――現在の名称は「英国図書館手稿本Or〔東洋コレクション〕1406」――と出会ったのは、1994年3月のことであった。著者は15世紀のイラクに暮らしていたムハンマド一族出身の系譜学者、ムーサウィー・ナジャフィーである。48葉の稿本には、著者が主として自分自身のために記録した小作品や断簡がぎっしりと書き込まれていた。
 出会った当初、著者に関する情報はほぼ皆無であり、また、句読点を打たないスタイルの手書きの文章を読むことは森本氏にとって困難で、その内容を把握することは大変な作業であった。それでも手控帳との出会いに運命を感じていた森本氏は、他の仕事に取り組む傍ら、手控帳の通読に励み、また、当時発達しつつあったイスラーム関係のデータベースを駆使して、著者の出自等の解明に勤しんだという。本発表は、この手控帳と森本氏の20年以上にわたる「つきあい」によって生まれたものに関する中間報告であり、且つ、こうした「つきあい」がもたらしうる喜びや成果の一端を、後進の徒に示すためのものであった。
 森本氏によると、手控帳を通読する中で、現在までに主に以下のような発見があった。

① ある系譜学者の仕事場を覗く「小窓」の発見
 森本氏はこれまで、イスラーム教の預言者ムハンマドの一族とされる人々、すなわち「サイイド」「シャリーフ」などと呼ばれる人々に関心をもって研究を行ってきた。この手控帳の著者は、自身もムハンマド一族出身の系譜学者である。彼が自らのために書き込んだメモは、系譜学に関する15世紀イラクの一学者の方法論や、関心、知識の幅など、さまざまな情報を示しており、その思考回路を知るための大変貴重な資料であった。

②最古のサファヴィー朝アリー裔系図の発見
 後にイラン高原を制圧したサファヴィー教団(-1501)やサファヴィー朝(1501-1736)は、ある時点から、預言者ムハンマドの従弟で娘婿のアリーの子孫であることを主張するようになった。ただし、具体的に、どの時期からその血統の主張が始まったのかは明らかではなかった。一方、森本氏は手控帳に記された一つの系図から、そうした主張が、1460年代前半頃には流布していたことを明らかにした。

③④モンゴルのイスラーム化に関する新知見の発見
 手控帳に収められていた『偽称者列伝』を校訂する作業の中で、森本氏は、その中に登場するサイイド・イブン・アブドゥル・ハミードに注目するようになった。彼は、イラク出身の十二イマーム派の系譜学者であり、キプチャク・ハン国にわたり、そこで当時の君主ウズベク・ハンの師父、またその王子の養育係となった人物であった。イスラーム教に改宗した後のキプチャク・ハン国の王家と十二イマーム派の密接な繋がりがここに示されたのである。
 このサイイド・イブン・アブドゥルハミードは、ウズベク・ハンのイスラーム教改宗を伝えるヤサウィー系スーフィーたちによる後の伝承の中では、彼らの一員であったとされていることが別のある研究によって明らかにされている。この人物についての研究は、モンゴルのイスラーム教改宗に関する新知見をもたらす可能性を秘めているだけでなく、イスラーム教改宗という歴史上の大事件に関する伝承と記憶を取り巻く後世のポリティクスについて、我々の理解を深めてくれる可能性を秘めているという。
 また、森本氏は、ティムール家(ある意味でモンゴル系王朝)をアリー裔とする系図が偽りの系譜として手控帳の中に書きこまれていることも発見した。そこに記された系譜は見るからに荒唐無稽なものであり、森本氏は、最初はこの系図の意義を評価することができなかったという。しかし、最近刊行された新たな研究を参照することによって、実は系図のその荒唐無稽な部分が、中央アジアで始祖伝説として広く用いられる、同地のイスラーム化にまつわる伝承群と関係を持つものであることが判明した。よって、このティムール家のアリー裔系図についても、自分なりに「料理」できたという感触を持っているという。

 森本氏によると、こうした発見や、それらがもたらした洞察の深まりや広がりは、氏自身の成長だけでなく、データベースの構築が進むといった研究環境の改良や、世界の研究仲間が行う研究自体が進んだことなどによって起こったものであるという。ある時点においてはうまく扱えないものであっても、粘り強く取り組み続けることで、徐々に何かを作り出すことができるようになる。森本氏は自らの手控帳との20年を振り返りつつ、後進の徒に向かってそのように述べた。
 報告に続いて約35名の参加者のあいだから、文献や書証の出現が系譜学に与えた影響や、系譜学とレジティマシーの関係、そして、モンゴルがイスラーム教を受け入れるときに「アリー裔」や「シーア派」「スンナ派」といった分類について意識していたのか、という質問などが挙がった。さらには、学問上の出会いの大切さや、粘り強く取り組むことで得られるものの価値について、共感をもった感想や意見が続いた。

当日の様子

第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授) 第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)
第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授) 第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)
第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授) 第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)
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第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授) 第3回定例研究会「一本の手稿本から広がる世界――私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい」(森本一夫 准教授)

開催情報

日時 / Date: 2015年1月15日(木)14:00-16:00 / 2:00 - 4:00 pm on Thursday, 15th January 2015

会場 / Venue : 東京大学 東洋文化研究所 3階 大会議室 / Conference room 303 (3rd floor), Institute for Advanced Studies on Asia, The University of Tokyo

題目 / Title : 一本の手稿本から広がる世界:私と15世紀イラクのある手控帳とのつきあい

発表者 / Speaker : 森本 一夫(東洋文化研究所・准教授) / Kazuo MORIMOTO (Associate Professor, IASA)

コメンテーター / Commentator : 馬場 紀寿(東洋文化研究所・准教授) / Norihisa BABA (Associate Professor, IASA)

司会 / Chairperson: 鎌田 繁 (東洋文化研究所・教授) / Shigeru KAMADA (Professor, IASA)

使用言語 / Language: 日本語 / Japanese

概要 / Abstract:
英国図書館所蔵手稿本Or. 1406は,15世紀第三四半期のイラクでムハンマド一族を専門とするある系譜学者の手になったと考えられるアラビア語の稿本である。この系譜学者が自らの関心に応じて小作品や断簡を書き写すうちに成立したもので,「手控帳」と呼ぶのがふさわしい。発表者はこれまでに,この稿本に記されたいくつかのテクストや系図が,14-15世紀の西アジアや中央ユーラシアの歴史を考える上で重要な情報を含むものであることを明らかにし,発表してきた。とはいえ,発表者が1993年の冬に初めてこの稿本と出会ったときには,それらのテクスト・系図の重要性はまったく理解することができなかった。この稿本の重要性は,発表者自身の研究と関係の研究者コミュニティにおける研究との両方が徐々に進展していくなかで,少しずつ発表者に理解されるようになったのである。この発表では,この稿本の専門研究上の価値だけでなく,そうした価値を発表者が見出してきた過程についてもお話ししたい。

担当:森本



登録種別:研究活動記録
登録日時:FriJan2311:25:532015
登録者 :森本・後藤・野久保(撮影)・藤岡
掲載期間:20150115 - 20150415
当日期間:20150115 - 20150115