東文研セミナー 「董少新氏、朱溢氏(復旦大学文史研究院)をお迎えして」が開催されました
- タイトルおよび報告者:
- 報告① 「清朝宮廷における西洋医学」 董 少新 (復旦大学文史研究院副教授)
- 報告② 「公私の間:唐宋時期の太廟祭祀の変遷」 朱 溢(復旦大学文史研究院副教授)
- 司会者:
- 羽田 正(東京大学東洋文化研究所長)
- 日時:
- 2012年1月12日(木)午後3時~6時半
- 場所:
- 東洋文化研究所3階大会議室
- 言語:
- 中国語(通訳あり)
1月12日(木)、東文研セミナーが開催され、復旦大学文史研究院副教授の董少新氏と朱溢氏が研究発表を行った。
発表の表題はそれぞれ「清朝宮廷における西洋医学」ならびに「公私の間:唐宋時期の太廟祭祀の変遷」である。
董氏の発表は、カトリックの宣教師が清朝中国にもたらした西洋医学について、特に皇帝および宮廷との関係から論じたものである。董氏は中国、ヨーロッパに残された資料を駆使して、医学や天文学など、当時の最新の科学技術を身に着けた宣教師らが宮廷で行った医療活動の詳細や背景、修道会および出身国家による宣教師の資質の相違、民間と宮廷での西洋医学による医療活動の相違と原因などを明らかにした。
また朱氏は、太廟(皇帝の祖廟)で行われてきた祭祀のもつ二つの側面(「公」と「私」)に着目し、唐宋時期に生じた変化とその背景について論じた。太廟祭祀において、常に中心をなしてきたのは「公」的側面であるが、唐宋時期には「私」的側面がそれまでになく発展した結果、太廟祭祀の様式にも大きな変化が生じた。朱氏は「天子七廟」制度、太廟の主管機構、祭祀を司る官員の身分、廟室における一帝一后形式、祭祀の供え物に対する日常的な飲食の要素などについて、その唐宋期における変化を詳細に解説した。
報告後はそれぞれに聴衆との間で活発な意見交換が行われ、発表で用いられた用語の定義、中国語と日本語での定義の相違、中国の宮廷における皇帝の地位と日本の将軍の比較など、興味深い議論が展開された。
東洋文化研究所では、復旦大学文史研究院との学術交流協定に基づいて、董少新氏と朱溢氏を1ヶ月間招聘した。これは2010年11月の朱莉麗氏、2011年3月の葛兆光院長に続くものである。本研究所は今後も、交流協定を結んだ復旦大学文史研究院やプリンストン大学東アジア研究所から、随時研究者を招聘し、また研究者を派遣することで、相互の交流を深めていく予定である。

司会の羽田所長 | 
董少新副教授 |

董氏と通訳を務めた卯田講師 | 
朱溢副教授 |

朱氏と通訳を務めた大野特任准教授 | 
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登録種別:研究活動記録
登録日時:FriJan1308:46:452012
登録者 :羽田・大野・藤岡
掲載期間:20120112
- 20120413
当日期間:20120112
- 20120112