
現代イスラーム研究:イスラーム理解の多様性と可変性
現在、世界人口に占めるムスリム(イスラーム教徒)の割合は、20%とも25%とも言われている。西アジアや中央アジア、東南アジア、その他各地で、ムスリムと呼ばれる人々は、多様な暮らしを営み、多様な考えを抱いている。
人々のイスラームに対する理解の仕方や実践のあり方も一つではない。「イスラーム」とは神に帰依し、その教えに従うという意味だとされるが、何が「神の教え」なのか、何をすることが「神に帰依すること」なのかという問いの答えは、人によって、あるいは同じ人でも時や場合によって異なることがある。
私が研究の中で取り組んでいるのは、こうしたイスラームの理解や実践の多様性や可変性を具体的なかたちで描き出すことであり、その多様性や可変性がどこから来るのかを考えることである。近年、ムスリムのあいだでも、それ以外の人々のあいだでも、「イスラームとはこういうものである」という規範的な捉え方が広がっており、結果として、さまざまな摩擦が生まれている。それとは異なる「イスラームの捉え方」があることを、説得力をもったかたちで提示していきたいと思っている。
ムスリム女性とヴェール
これまで主におこなってきたのは、ヴェールに関わる事例を通じて、イスラームの多様なありかたを描き出すという作業である。ここ数十年来、世界各地で、ヴェールをまとうムスリム女性の数が増えるという現象がみられた。国家レベルでヴェール着用が強制されたという場合がある一方で、自発的にヴェール着用を選択するムスリム女性もいる。
ヴェール着用者の増加という状況は、なぜ、どのように起こってきたのか。そもそも、イスラームとヴェールの関係とは、いったいどのようなものだったのか。その問いについて、エジプトをはじめ、アフガニスタンやイラン、サウジアラビアなどに関する事例を入口に検証してきた。
現在の課題
今取り組んでいるのは二つの課題である。一つは「イスラームの女性観」についてまとめることである。イスラームは本質的に女性を抑圧するという主張が広く聞かれる一方で、イスラームとは本来、女性を大切にするという言葉も声高に言われている。しかし、実際には、イスラームにおける女性の扱いに関して、ムスリムのあいだでの理解は一つではなく、その実践のあり方も多様である。そのことに着目した時、イスラームは女性を「抑圧する」/「大切にする」と主張すること自体に、別の意図や作用があるように思われてくる。その点を、事例を重ねつつ明らかにすることが現在の課題である。
もう一つはイスラーム主義という言葉を再考するという課題である。イスラーム主義とは、「過激」や「頑迷」といったイメージの強い「イスラム原理主義」という言葉に代わる分析概念として、90年代以降提唱されてきたものである。それは通常、イスラームに基づく共同体を現代に再興しようとする政治的な動き一般のことを指し、西洋近代的な志向をもつ政府に抗う人々が「イスラーム主義者」と呼ばれてきた。
しかし、2010年以降の「アラブの春」やその後の動きを眺めていると、今や、「イスラーム主義」という分析概念が、必ずしも意味あるものではなくなっているように思われる。例えばエジプトやチュニジアで、多数派を占めるムスリムの人々の多くは、それぞれの理解に基づく「イスラーム」によって革命後の政治・社会体制を確立しようとしている。そうして、さまざまな「イスラーム主義」が拮抗するという状況が生まれている。
今後、「イスラーム主義」に代わる分析概念を模索することが必要であり、それが、これから数年の私自身の主要な課題となるはずである。