今までの私の研究は、19世紀半ばから20世紀半ばにかけて活躍した尹致昊(ユン・チホ、1865~1945)を中心に〈朝鮮の近代〉ひいては〈東アジアの近代〉を再考する試みであった。尹致昊は、日本をはじめ中国・アメリカに留学し、各国の啓蒙知識人と交流しながら、朝鮮政府の官僚・啓蒙知識人・言論人・キリスト教系の教育者として人民啓蒙に励んだ。ただし、太平洋戦争期における尹の対日協力というイデオロギー的な問題のため、主に彼の思想の限界を指摘する研究が行われてきた。この点について私は、尹を批判する前に、まず彼の思想の全貌を明らかにし、彼が模索した〈朝鮮の近代〉の明暗を多面的に検討した上で、評価すべきだと考える。いわゆる〈親日派〉としての尹致昊の評価が現在でも強力な解釈のツールとなっているのは、東アジアにおける近代の問題が、過去形ではなく、現在形の問題であることを示唆する。
以上の研究は、尹致昊を中心に主に朝鮮/韓国の近代と知識人の問題を取り扱ったものである。海外経験・キリスト教・文明論などが複合的かつ相互的に連関しながら変動していた尹の思想を、当時の東アジアの文脈のなかで考察してきた。これからはこの朝鮮の近代と知識人の問題を拡張し、日本の近代と知識人の問題に繋げていく。とくに、江戸時代から明治時代へ移行する時期において儒学思想(朱子学や陽明学)を思想的背景に持つ日本知識人たちが、どのように西洋文明を自身の思想や素養として受け入れて身体化し制度化していたのか、その様相を〈キリスト教〉に注目して研究を進めるつもりである。