民俗学は、日本において「野の学問」として生まれた。それは、制度化された知の世界=アカデミーで萌芽したものではなく、それとは離れたところにいた「普通の人びと」が芽吹かせた「学問」であった。人文・社会科学のアカデミーも、いまほど整理されていなかった時代、日本において多くの「普通の人びと」が、歴史や文学や芸術などが入り交じった非定型の学問運動を通じて、自己の周りの卑近な問題を考え、表現し、発信するという、草の根の知を沸き立たせていた。そして、それは、いくつもの小さな文化運動となって立ち現れた。そのなかのひとつに、民俗学のプロト・タイプがあった。しかし、民俗学は唱道者である柳田国男という巨人によって、最終的には「学問」として制度的知の営為の仲間入り―アカデミズム化―する「成長」の道筋がつけられることとなった―本意か不本意か定かではないが―。
いまの日本民俗学の危機の遠因を眺めると、そのような危機が民俗学の制度的学問としての「成長」、つまりアカデミズム化の過程でもたらされていることが理解される。さらに、そのような危機は、民俗学そのものというより、制度化された「アカデミック民俗学」の危機であることも理解される。多様ないくつもの民俗学が、アカデミズム化の取り繕いの途次で切り捨てられ、単純化、画一化させられたのである。
本書はアカデミックやエキストラ・アカデミックといった、堅い立場性の壁を乗り越えた学問の可能性の追究する試みである。その試みの目的は、いまこの時代に生きるために、多様な人間が多様な方法で考える新しい民間学としての方向性に、いまの民俗学を傾けてみること、そこに主眼がある。そして、それは民俗学のためというよりも、民俗学が人びとや社会のなかで何らかの役割を果たすものとなるための考究なのである。
第1章 | 民俗学と実践性をめぐる諸問題――「野の学問」とアカデミズム 岩本通弥 |
第2章 | 公共民俗学の可能性 菅 豊 |
第3章 | 市民のなかの民俗博物館 加藤幸治 |
第4章 | 学校教育と伝統芸能の創造 小国喜弘 |
第5章 | 野の学問とアカデミズム 中村 淳 |
第6章 | 民俗文化と文明世界 伊藤亜人 |
第7章 | 民俗学における学問の「制度化」とは何か――自然科学の「制度化」のなかから考える 鬼頭秀一 |
おわりに | 菅 豊 |
あとがき |
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岩本 通弥、菅 豊、 中村 淳 編著
『民俗学の可能性を拓く - 「野の学問」とアカデミズム -』
青弓社, 269ページ
2012年11月
東洋文化研究所にて過去に紹介した菅 豊 教授によるその他の著作