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写真展×ワークショップ「マイノリティとして生きるムスリムとアイデンティティ」 が開催されました

報告

 2018年9月29日(土)から10月6日(土)まで、東京大学東洋文化研究所において、写真展「マイノリティとして生きる ムスリムとアイデンティティ」が開催されました。初日にはワークショップが、また会期中の夕刻には関係者やゲストによるミニトークが行われました。以下にその様子を報告します。

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 近年、世界の各地では、多様性や共生の大切さを説く声とともに、人々のあいだの分断を助長する声が聞こえてくる。自文化中心主義や、自国第一主義、ヘイトスピーチ、移民排斥など、一部の集団を差異化したり、差別化したりする動きは、地域的・世界的な混乱をもたらすとともに、個々の人々の中に怒りや悲しみといった感情や、暴力にまつわる体験などを刻みこむ。人類は今、分断をめぐる「新しい危機」の時代にあるという問題意識のもとに開催されたのが、写真展&ワークショップ「マイノリティとして生きる ムスリムとアイデンティティ」である。

写真展

 写真を提供したのは日米の二人の写真家である。一人は、リック・ロカモラ氏。9.11以降続く「イスラモフォビア(イスラム嫌悪)の時代」の米国で、ムスリムの“ありのままの” 姿や声を、目に見える形で示したいと願って写真を撮り続けてきた記録写真家である。もう一人は、佐藤兼永氏。米国留学時に自身が「マイノリティ」になるという経験をしたことをきっかけに、帰国後、日本社会でマイノリティと位置づけられがちな人々の取材を続けてきた。その中で出会ったのが日本のムスリムの人々だった。
 展示会場となった東京大学東洋文化研究所のロビーには、ロカモラ氏と佐藤氏の写真がそれぞれ25枚ほど、タイトルとともに展示された。会場ではまた、それぞれの写真の背景的な情報を写真家の言葉で記した補足資料が配布された。


 展示会場

 

ワークショップとミニトーク

 写真展初日の9月29日(土)の午後には、東洋文化研究所大会議室でワークショップ「マイノリティとして生きる ムスリムとアイデンティティ」が開催された。また、会期中の10月1日(月)、3日(水)、5日(金)、6日(土)には、展示場内で関係者やゲストによるミニトークが行われた。すべてを通してテーマとなったのは、ムスリムが多数派ではない空間である日本や米国で生きるムスリムの人々にとってのアイデンティティとは何かという問いだった。その答えを丁寧に掘り下げていく中で、「ムスリムとそれ以外」という分断を助長する昨今の動きをどう理解し、それに対してわれわれが何をなしうるのかという問いについても考えることができた。
 展示と議論を通して明らかになった最も重要な点は、「ムスリムである」ということの境界線が実はかなり曖昧だということである。29日のワークショップで岡井宏文氏(早稲田大学、クレシ愛民氏(早稲田大学)による代演)と高橋圭(日本学術振興会/上智大学)は、それぞれ日本と米国のムスリムについて、出自や改宗経験の有無、イスラムの理解や実践に関して、多くのバリエーションがあることを指摘した。その上で、移民第二世代や改宗者の若者たちが、日本社会やアメリカ社会で共有される思考様式や行動様式と、イスラムの「伝統」とされるもののあいだで、さまざまな葛藤を経験し、自分なりに接点を見つけたり、折り合いをつけたりすることで、ムスリムとして生きている様子が紹介された。
 一方、鳥山純子氏(立命館大学)が指摘したのは、ムスリムが圧倒的マイノリティである空間で生まれながらにして「ムスリム」というカテゴリーに位置づけられた者の中に、「自分はムスリムとしてどうあるべきか」という問いではなく、「自分はなぜムスリムでいなければならないのか」という問いを抱く若者がいるということである。彼らが「どうすればそこから抜け出せるのか」という問いを発したときに答えが得られにくいとすれば、その原因の一つが、「ムスリム」の境界線の曖昧さにあるのかもしれないと思われた。
 後半の二人の写真家の報告でも、「ムスリム」という境界線があらかじめ明確に定まったものではなく、そのことが、それぞれの撮影の手法や撮影対象との関係作りに大きな影響を与えていることが明らかとなった。
 米国留学中の「マイノリティ」としての経験から日本のムスリムに関心を持った佐藤氏と、自身も移民であり、米国社会の抱える人種差別への強い憤りからカメラを手にしたロカモラ氏とでは、撮影に臨む立ち位置が異なっており、その違いが彼らの作品にも反映されていた。重要なのは、両者の目指すところが「客観的・典型的なムスリムの姿」を描き出すことではなく、あくまでも写真家の側の視点から、ムスリムとしてのアイデンティティを持つ人々の姿の一端を表現することにあり、またそのことに自覚的であるという点にあった。二人の写真の大きな魅力の一つは、「ムスリム」の写真を通して伝わる写真家たち自身のメッセージにもあると考えられた。
 佐藤氏は撮影対象を探し交渉する過程で、ムスリムに対して当初持っていた認識を改めるという経験を繰り返し、それによって最終的に日本社会に生きるムスリムの多様な姿を映し出すことができたとまとめた。また、ロカモラ氏は、何を目的とし、何を撮りたいのかを事前に明確にして説明することで、相手も協力的な姿勢を見せてくれるばかりか、よい写真を撮るためのアドバイスもするなど、積極的に撮影に参加してくれる場合も多くあったと述べた。こうした相互作用を踏まえれば、彼らの写真は非ムスリムの写真家とムスリムの対象者との共同作業の成果であるとみることもできるかもしれない。
 このように、撮影される側との交流を通じて、固定的・画一的な「ムスリム」観を克服していったり、あるいはムスリム/非ムスリムの境界線を越えて問題意識を共有するといった写真家たちの経験には、ムスリムとそれ以外の人々との「分断」を克服するための大きなヒントが隠されているように思われた。
 最後に、閉会のあいさつに立った長沢栄治氏(東京大学)は、こうした境界線の曖昧さについて、マイノリティという概念自体の問題に注目して論じた。写真展のタイトルの「ムスリム」の箇所には他の様々な人々――例えば「女性」「高齢者」「障がい者」など――を入れ込むことができるとしたうえで、マイノリティは必ずしも「少数派」を意味するものではなく、ある意味では誰もが人と異なる部分を持っている点で潜在的にはマイノリティであるという重要な指摘がなされた。そして、マイノリティの問題が差別と結びつくのは、個人の多面性を捨象して、特定のアイデンティティによって人々の間に明確な境界線を引く見方や政策にあることが、ムスリム住民が宗派ごとに統治されたイラクの例などを挙げながら、説明された。
 長沢氏の指摘は、それが善意によるものであっても、ムスリムをマイノリティとして語ること自体に「分断」を助長する危険性があることを明らかにした。


 ワークショップとその参加者

 

 会期中に開催されたミニトークでは、いずれも「アイデンティティ」や「マイノリティ」の境界線を問い、その再考を促す議論が展開された。
 最初の登壇者である酒井啓子氏(10月1日)は、マイノリティという状況がもとからそこにあるのではなく、ある瞬間に、しばしば暴力的に生み出されるということを指摘した。その上で、マイノリティを取り上げる際には、それが生み出されたプロセスとともに、マイノリティとなる以前の状況――境界線がない頃の人々の「同じさ」――にも目を向ける必要があるのではないかと述べた。


 ミニトーク(左:1日、右:5日)

 

 二人の写真家と高橋圭の対談(3日)では、差別の問題が取り上げられた。高橋は近年アメリカで高まりを見せるイスラモフォビアが、多様な背景からなるムスリムを一つの包括的なカテゴリーに分類して排除するものであることを明らかにした。ただし同時に、特に若い世代のムスリムの間では自ら包括的なムスリム・アイデンティティを模索する動きもあり、ムスリムの境界線の再構築が当事者によって進められている現状があることも指摘された。


 ミニトーク(3日)

 

 長沢栄治氏(5日)は、イタリア系エジプト人であり、フランスで活躍した歌手ダリダを例に取り上げて、もっぱら民族や宗教といった枠組みで語られがちなアイデンティティを、人々の日常生活の経験に根ざしたものとしてとらえていくことの重要性を指摘した。
 最終日(6日)には、静岡市からアサディ夫妻(静岡ムスリム協会)をお招きし、同市に暮らすムスリムを対象としたコミュニティの形成に尽力してきた二人の活動が紹介された。その活動においては、地元住民に対する地道な説明が続けられ、ムスリムのコミュニティを地域社会の一部として構築する努力がなされていることが報告された。こうした取り組みは、ある意味では地域における他のコミュニティ形成の活動と変わるものではないと感じられた。また、聴衆の中に静岡市出身の方がおり、アサディ夫妻と地元の話題で話が盛り上がったことも印象的だった。このような地域性を介した協調や共感は、ムスリムと非ムスリムの境界線にとらわれている限りは見えてこない部分であり、ここにも「分断」を乗り越える鍵があるように思われた。


 ミニトーク(6日)

 

  多くの来訪者を得て、写真展とワークショップ、ミニトークは大盛況のうちに閉幕した。今回の企画の特徴は、それが研究者、写真家、そしてそれ以外の様々な立場の人々との協働によって実現したことにある。この点で、いわば本企画自体に多様性を「実践する」試みとしての意義があり、その成功は、同様の取り組みを今後も継続・発展させていくうえでの大きな弾みとなったとの確信を得た。

(企画と報告: 後藤 絵美、高橋 圭)

追記:本レポートはPDF(900KB)でもご覧いただけます。

開催情報

ASNETとグローバル関係学科研の共同主催による写真展 × ワークショップです。会期中、展示会場でのミニトークも予定しています。ぜひお立ち寄りください。

※全イベント入場料無料、参加登録不要

 日本やアメリカでイスラームを実践する人々は、アメリカ人や日本人、アラブ系やパキスタン系など、出身地に由来する呼び名に加えて、ムスリムという名称でくくられ、周囲から規範的なイメージで捉えられることが多い。本企画では、日米それぞれの社会で、これらの人々を撮り続けてきた二人の写真家の作品を通して、外からの一方的なまなざしによって覆い隠されがちな、人々の多様なアイデンティティのありように光をあてていく。
 最終的には、現代のグローバルな関係性の中で、人々の感情や感覚、意識や思考のうちの何が重なり、何が分断を作り出しているのかを考えてみたい。


写真展期間:2018年9月29日(土)~10月6日(土) 10:00~18:00 (最終日は17:00まで)
会場:東京大学 東洋文化研究所 1階 ロビー
写真提供:
リック・ロカモラ(写真家)
佐藤兼永(フォトジャーナリスト)
ワークショップ日時:2018年9月29日(土)
会場:東洋文化研究所 3階大会議室
13:00-15:00「マイノリティとして生きるムスリムとアイデンティティ」
岡井宏文(早稲田大学)
「日本の状況 ―諸活動からアイデンティティを考える」
高橋 圭(JSPS/上智大学)
「アメリカの現状 ―「統合」に向けた近年の動きから」
鳥山純子(立命館大学)コメント
15:30-17:30「写真がとらえたムスリムとアイデンティティ」
写真提供/登壇者:
リック・ロカモラ(写真家)
佐藤兼永 (フォトジャーナリスト)
鳥山純子(立命館大学)通訳者
後藤絵美(東京大学)モデレーター
ミニトーク会場:東京大学 東洋文化研究所 1階 ロビー

 

9月30日 (日)
14:00-15:00 リック・ロカモラ × 佐藤 兼永 × 高橋圭
15:30-16:30 鳥山純子 × 後藤絵美
10月1日 (月)
17:00-18:00 酒井啓子
10月3日 (水)
17:00-18:00 リック・ロカモラ × 高橋圭
10月5日 (金)
17:00-18:00 長沢栄治
10月6日 (土)
14:00-15:00 アサディ ヤスィン × アサディ みわ × 佐藤兼永


©Rick Rocamora WEBSITE for Muslim Americans
 リック・ロカモラは、カリフォルニア州オークランドを拠点とする記録写真家。米国内の移民の姿を撮り続けてきた。米移民の権利や貢献、公民権運動が生涯にわたるテーマである。自身もフィリピン系移民であり、フィリピンでも不平等や人権問題についての活動を行っている。

©Kenei Sato
 佐藤兼永は、東京を拠点に活動する写真家。フォトジャーナリズムを学んでいたアメリカ・ミネソタ大学在学時にマイノリティとして“アイデンティティの揺らぎ”を自ら経験し、帰国後に外国人をはじめとしたマイノリティと日本社会の関係について取材を始める。ライフワークにおいてはインタビューと執筆も手がけ、2015年に『日本の中でイスラム教を信じる』(文芸春秋)を上梓。

 ちらしは以下よりダウンロードできます。


主催:
科研費 新学術領域研究 グローバル秩序の溶解と新しい危機を超えて ―関係性中心の融合型人文社会科学の確立(代表:酒井啓子) B01班「規範とアイデンティティ」
東京大学 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク

共催:
東京大学 東洋文化研究所
科研費 基盤研究(A) イスラーム・ジェンダー学の構築のための基礎的総合的研究(代表:長沢栄治)
科研費 若手研究 現代北米のムスリム社会とスーフィズム―「伝統イスラーム運動」の展開から(代表:高橋圭)

協力:
野久保雅嗣 (東洋文化研究所)



登録種別:研究活動記録
登録日時:TueNov610:25:302018
登録者 :長沢・後藤・藤岡・田川
掲載期間:20181006 - 20190106
当日期間:20180929 - 20181006