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東文研セミナー「清末中国における国際法の利用―日本人僧侶の宣教権はいかにして拒まれたのか」が開催されました

報告

 1904年から1908年にかけて清国側と日本側とで外交上の争点ともなった標題の問題についての経緯が報告された。報告に対しては、具体的には大谷派の積極的な進出が問題になっているので、大谷派をめぐる特殊な事情があったのか、宗教上の自由というもうひとつの近代的価値との関係ではどのように評価すべきか、といった点について議論が行われた。

当日の様子

開催情報

【日時】2015年6月1日(月) 15:15-16:40

【会場】東京大学 東洋文化研究所 3階 第2会議室

【講演者】顔 麗媛 (中国人民大学・法学院・博士課程、東京大学・東洋文化研究所・訪問研究員)

【題目】清末中国における国際法の利用―日本人僧侶の宣教権はいかにして拒まれたのか

【使用言語】中国語(通訳なし)


【要旨】
国際法は、ヨーロッパのキリスト教国家間交際の規則として始まった。その後、欧州諸国の植民地拡大活動にともない、キリスト教布教の権利を国際法の一部とす るようになり、非キリスト教国家へキリスト教を広めることの法的根拠とした。その布教対象には中国や日本も含まれていた。対象となった両国には対応に差異 が見られる。日本は幕末以降、中国に比して、積極的に国際法に適応しようとした。そのひとつの現れが、日本の仏教教団による中国を含む国外での布教の試み である。中国は欧米宣教師の活動における摩擦の教訓から、日本僧侶の在中国宣教権を認めることに慎重で、制限する立場をとった。その際の布教制限の根拠は 国際法であり、条約の規定によって日本僧侶は中国で布教の権利を持たないと主張した。 光緒三十年(1904)から光緒三十四年(1908)まで、中国と日本は、宣教権問題について激しい論争を展開していた。清の皇帝の退位(1912)まで、日本は中国に宣教師派遣の権利を持たなかった。中国の地方政府は、日本の僧侶が中国で宣教権を持たないという条約に基づいて、その管轄内で日本の僧侶の宣教活動を阻止した。この過程を通じて清末中国における国際法(条約を含む)の情報の利用の仕方を考察する。


【主催】東京大学・東洋文化研究所・班研究「中国法研究における固有法史研究、近代法史研究及び現代法研究の総合の試み」(主任 高見澤 磨・東京大学・東洋文化研究所・教授)

担当:高見澤



登録種別:研究活動記録
登録日時:SunAug2209:52:182015
登録者 :高見澤・野久保(撮影)・藤岡
掲載期間:20150729 - 20150901
当日期間:20150601 - 20150601