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東文研シンポジウム「「砂漠の探究者」を探して—女性たちと百年」第三回研究会が開催されました

報告

 本研究会は20世紀初頭に女性やジェンダーを論じた人々に注目し、その著作や活動、生き様を知ることで、当時何が問題となっていたのか、その後100年の間に何が変わり、何が変わらなかったのかを考えることを目指して開催されるものである。今回より、前半には、ライラ・アハメド著『イスラームにおける女性とジェンダー』(2000年出版の邦訳版)の読書会を行ない、後半には参加者による報告を得ることになった。

 『イスラームにおける女性とジェンダー』の原著は1992年に、邦訳は2000年に出版され、以来、イスラームのジェンダーをめぐる基本書の一つとして広く読まれてきた。読書会では、四半世紀前に出されたこの著作を、その後の研究成果等を採り入れつつ再読し、基礎的な知識を研究会参加者のあいだで共有することを目指す。

 第一部報告者の木下氏によると、同書は「中東における女性についての現代の言説の主要な前提とはどのようなものか」という問いのもと、「中東アラブの歴史を形成する各時代においての、女性とジェンダーに関する諸言説の検討」を行うものであった。イスラーム以前の中東を扱った第一章(メソポタミア)と第二章(地中海地域の中東世界)の部分の要約を行った後、木下氏は、女性に対する態度が、古代の様々な地域において共通点があったこと、女性の抑圧の源流はイスラーム以前の宗教・社会的背景にあったことが読み取れたと述べた。

 コメンテーターの小泉氏からは、メソポタミアの都市文明の誕生とそこでのジェンダーについての考古学的知見についての解説があった。メソポタミア丘陵地帯で農耕牧畜が始まり、その後、平原に人々が下りてくることで生まれた集落や都市、あるいは都市国家では、男女間で役割分担があった可能性が高いという。コメントではまた、地母神像の意味や神官女性の存在が紹介されるとともに、(現代の目から見て)古代法典の内容は男性中心的であるものの、法典編纂の目的は弱者救済にあり、女性の立場も考慮したものであったことなどが指摘された。


 研究会の後半は、後藤絵美(東京大学)による報告「草創期の女性雑誌を探して——『女学新誌』と『若い娘』」と、それに対する松本弘氏(大東文化大学)のコメントによって始まった。女性雑誌はメディア研究や近代史研究の中で、各国や各地域単位でさかんに取り上げられてきたものの、歴史的・地理的に広い視野をもってそれを検討した研究は多くない。

 「最初の女性雑誌」と呼ばれるものは、誰がどのような意図で発刊し、その中には何が書かれていたのか。この疑問から本報告では、二つの「最初の女性雑誌」——明治日本で刊行された『女学新誌』(1884-85)とエジプトの『若い娘al-Fataah』(1892-93)に注目し、それぞれの刊行の経緯とその創刊号の内容を明らかにした。二つの雑誌の大きな違いの一つは、『女学新誌』が私立農学校出身の男性知識人によって創刊され、「欧米の長所を採り入れ、古来の婦道の長所を失わないような女性像を提示すること」であったのに対し、『若い娘』はシリアからエジプトに移住した女性知識人が「東洋」におけるに最初の女性雑誌として、「奪われた権利を守り、必要な義務について注意を促す」ことを目指し、刊行したものだということである。コメンテーターの松本氏は、同時代のエジプトで活動した男女知識人をマッピングするとともに、シリアからの移住者らに関する背景についての解説を行った。議論では、エジプトの『若い娘』に掲載された記事が、ヨーロッパ等の雑誌からの翻訳である可能性が指摘され、今後、さらに他の地域の雑誌との比較を行うことで、より具体的な時間的・空間的つながりや断絶が見えてくるのではとの期待が高まった。


 続いて、エリフ・チャーラル氏(日本トルコ文化交流会)と藤元優子氏(大阪大学)より、ミニ報告があった。ミニ報告は10分程度で小さな発見や興味をひかれた主題について紹介するコーナーである。今回はミニとは言えない、力のこもった、また興味深い報告であった。

 チャーラル氏の「トルコの女性雑誌」では、オスマン帝国時代に刊行された四つの「女性雑誌」の紹介があった。1869年創刊の週刊誌『貞女の進歩』は『進歩新聞』の追加の週刊誌として発行され、トルコでの最初の女性誌と目されている。1883年創刊の『花畑』(二週に一度の発行)は独立した雑誌として、女性の手によって発行された最初のもの、1893年から1908年まで刊行された『女性だけの女性のための新聞』も女性の編集長と記者によるものであった。1913年刊行の『女性の世界』はさらに、女性の権利を守り、女性の心情を大切にすべく、女性の文章のみを掲載すると創刊号で宣言した雑誌であった。以上から、ひとえに「女性雑誌」といっても様々なレベルのものがあることが明らかになった。

 藤元氏の報告「現代イランの人名」では、まず、イラン人の名前について、1918年の市民登録制度に始まる「近代化」の流れが紹介された。イランでは1925年の市民登録法において、家長は特定の姓を選ぶこと、その妻と、未婚の息子、孫息子、娘、孫娘は、同じ姓を名乗らなければならないことが定められた。報告では、その後みられた姓の選択をめぐるさまざまな具体例が挙げられ、また、既婚女性の旧姓使用が上記法を無視して常態化していたことが指摘された。さらに、近年のイランで人気のある名前や、頻繁に行われている「通称使用」についても報告された。「名前」という今では身近なものに着目し、その扱いや位置づけの変化を知ることで、「女性たちと100年」をめぐって思いがけない側面が見えてきた。

 研究会の団長である岡真理氏の司会のもと、22名の参加者は、以上のように盛り沢山かつ、充実した時間を過ごすことができた。今後も参加者の皆さんと協力しつつ、知的刺激たっぷりの研究会を継続していきたいと思う。

(報告:後藤絵美)

当日の様子

開催情報

日時:2017年4月22日(土)13:00-17:00

場所:東京大学 東洋文化研究所 三階大会議室

プログラム:
13:00-14:30 第1部
読書会『イスラームにおける女性とジェンダー』
第1部「イスラーム以前の中東」
第1章 メソポタミア、第2章 地中海地域の中東世界
レジュメ担当:木下実紀(大阪大学・院)
コメント:小泉龍人(東京大学)

14:50-16:10 第2部
報告「草創期の女性雑誌を探して――『女学新誌』と『若い娘』」
報告者:後藤絵美(東京大学)
「最初の女性雑誌」と呼ばれるものは、誰がどのような意図で発刊し、その中には何が書いてあるのか。こうした疑問からたどり着いたのが明治日本で刊行された『女学新誌』(1884-85)とエジプトの『若い娘al-Fataah』(1892-93)です。今回はこの二つの刊行の経緯とその創刊号の内容を見ていく中で、時間的空間的なつながりや断絶について考えたいと思います。
コメント:松本弘(大東文化大学)

16:20-17:00 第3部
ミニ報告
「トルコの女性雑誌」
報告者:エリフ・チャーラル(日本トルコ文化交流会)
「現代イランの人名」
報告者:藤元優子(大阪大学)

言語:日本語

主催:科研基盤A イスラーム・ジェンダー学構築のための基礎的総合的研究代表:長澤榮治(東京大学東洋文化研究所)
公募研究会「砂漠の探究者」を探して―女性たちと百年代表:岡真理(京都大学)事務局:後藤絵美(東京大学)


(PDF:424KB)



登録種別:研究活動記録
登録日時:Mon Aug 21 11:16:23 2017
登録者 :長澤・後藤・藤岡
掲載期間:20170422 - 20170722
当日期間:20170422 - 20170422