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サート=プラ(Satpulah)として知られており,キルキー部落の東方約400メートル,ジャハーンパナー南城壁の堰堤の一部にある。附図.H-12
この建造物は,東西の全長80メートルにおよぶ巨大な水門で,11の流水トンネルが南北に通じている。このうち,中央の部分にある七つのトンネルは,もっとも低いレベルにあって,それぞれ,流水を抑制し,あるいは調節する施設をそなえている。これらのトンネルの上方は,テラスになっていて,それぞれ対応する位置に,大きな龕をもっており,ここで流水調節の操作が行なわれるしくみとなっている。この水門が,サート=プラ(七つの橋)とよばれてきたのも,この七つのトンネルに由来している。この水門の東西両端には,それぞれ,北に入口をもつ部屋があって,東・西・南の三方の壁に,いくつかの狭間をもっているが,おそらくは,この水門の防禦の役割りをになったものであろう。現在では,トンネルの北の部分は,なかば崩壊し,また,南側には,近代の土手と障壁が設けられている。この水門は,トゥグルク朝のスルターン=ムハンマド=シャーが建設したとされる,ジャハーンパナーの南城壁の一部を切って構築されたもので,ジャハーンパナーと同時代のものであるか,あるいは,つぎのスルターンであったフィーローズ=シャーの治世に建造されたものかは,にわかには決しがたい。第Ⅱ期。
東研.Ⅷ-28;ASI.Ⅲ-216

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