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マヒパーノレプルの堰堤とよぶ。マヒパールプル部落の東側を,北から南へ走り,さらに曲折して,メヘローリー=ロードの北側にそって,東南東にのびている。附図.D-11・12
この堰堤は,割り石からなる石積みをもっているが,この石積みは,現在も非常によくのこっており,その全長は1.4キロメートルに及ぶ。この堰堤には,壁面から突き出すかたちに二つの水門が設けられており,この水門に,それぞれ,レベルを異にするいくつかの流水孔が通じている。南側の水門の場合には,四つの流水孔が認められるが,その排水口はアーチ型をなし,取水口の側にコントロールのための施設がみられる。
この堰堤は,東側と北側とに丘陵地帯をひかえたほぼ平坦な地域の,西側と南側とをとり囲むように構築されており,おそらくは,丘陵地帯に降った雨水を平地に貯え,ここに人工氾濫を起こさせることによって,肥沃な耕地を得ることを目的とした農業用堰堤であったのであろう。トゥグルク朝後期の文献に,フィーローズ=シャー時代に建設されたとされるバンドの一つとして,マヒパールプールのバンド(Band-i Mahipalpur)の名がみえているが,これが,おそらくは,この堰堤にあたるものと推定される。第Ⅱ期。
東研.Ⅸ-49;ASI.Ⅳ-108

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