T102

クトウブ=ミーナールの西南約900メートル,ムガル末期のバハードゥル=シャー二世の宮殿のすぐ南に接してある。附図.F-13
この墓建築は,奇妙な平面をもつ建造物で,無蓋の部分を中央に,その南側には,ドームをいただく十二本柱の四角平面の建物がある。また,北側には,ピラミッド型の屋根をもつ,四本柱からなる二層の建物がある。中央無蓋の部分には,2基の墓石の痕跡があり,ASIは,この土地のいい伝えによって,奴隷王朝時代のスルターン=イレトゥミシュの甥と,クトゥブ=サーヒブの弟子との墓であると記しており,建立の時期をもイレトゥミシュの治世としている。これらの墓の主人公については,まったくなんらの確証もなく,また,ASIの時代区分についても,現存の建物に関する限り納得できない。構造・様式からすれば,後代の特徴をもっている部分もあるが,全体としては,デリー諸王朝時代中期に属するものと考えたい。なお,この建造物は,すぐ東にある建物となんらかの関連があるのかもしれない。第Ⅱ期。
東研.Ⅸ-69;ASI.Ⅲ-71

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