T082

メへローリー西方の十二本柱の墓とよぶ。メへローリー部落の西方,部落を南下する道路から西へ約300メートルにある。附図.F-13
この墓建築は,東をのぞく三方を囲壁によって囲まれた墓域のなかにあり,ドームをいただく十二本柱からなる,外辺6.1メートルの四角平面の建物である。内部には,現在,1個の墓石が無造作に置かれている。ドームの内側基部の十六角の部分に,北とその西隣りの二つの石にわたって,トゥグルク朝のフィーローズ=シャーの名と,777A.H.(1376A.D.)の年次とをしるす碑文が現存している。ASIは,このほかに,936A.H.(1529-30A.D.)の年次のある碑文をもつ後代の燈明台が立っていたことを記しているが,現存しない。この墓建築をとり囲む上述の囲壁は,西側が,南と北とに袖壁をもつ,長さ約35メートルの礼拝壁をなしており,三つのミヒラーブをそなえている。この囲壁と,その南西の外側に接するモスクとは,この墓建築と同じ時代に,なんらかの関連をもって建てられたものと推定される。第Ⅱ期。
東研.Ⅸ-51;ASI.Ⅲ-112

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