T001

スルターン=ガーリー(Sultan Ghari)としてひろく知られており,クトゥブ=ミーナールの西方約4.9キロメートル,マヒパールプル部落の東南約1.4キロメートル,メヘローリー=ロードの南側にある。附図.D-12
この建造物は,高い基壇の上に立ち,四隅にバスティオン風の塔をそなえた囲壁によってとり囲まれている。この囲壁の西側の部分は,奥行1間の列柱の間をなしており,その中央部分は,前方が東へ張り出していて,白大理石の柱が,八角形のピラミッド型のドームを支えている。この奥壁にあるミヒラーブは,奴隷王朝初期の特徴を示す,豊富な文様と碑文によって装飾されている。内庭をへだてて囲壁の東側にある部分もまた,列柱の間をなしており,その中央の間から東の方へ,ドームをいただく正門が張り出している。内庭の中央には,周囲に白大理石の石積みをもつ,八角形のプラットフォームがあり,その東側に,頂部に達する階段が設けられている。このプラットフォームは,八角形の地下室の屋根をなしており,南側にある小さな入口から,階段によって,この地下の墓室に下りることができる。墓室には,4基の墓がのこっているが,そのうちの中央のもの,あるいは西寄りの,もっとも大きいものが,ナーシルッディーン=マフムードの墓であろう。
東門入口の周囲に,奴隷王朝のスルターンである,シャムスッティーン=イレトゥミシュと,その子マフムードの名,および629A.H.(1231-32A.D.)の年次を記した碑文がある。碑文によれば,この建造物は,イレトゥミシュによって創建されたものであるが,トゥグルク朝後期の文献は,フィーローズ=シャー=トゥグルクによる補修について記しており,たしかに,その時代の特徴を示す部分が,この建物の随処に認められる。第Ⅰ期。
東研.Ⅸ-1;ASI.Ⅳ-105

Copyright © 2007 東京大学東洋文化研究所