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サイイドゥル=フッジャーブ(Saiyid al-Hujjab)のハーンカーとして知られていたものでサイイドゥル=アジャーイブ部落の南西のはずれにある。附図.G-13
現在,この建造物は,崩壊の度が著しいぼかりでなく,住民によって多くの改変がほどこされ,住居あるいは納屋・家畜小屋などに使用されているので,その全貌をうかがうことはきわめてむずかしい。二つの建物が,高い基壇の上に,東西に並んで建てられており,東のものは,ほとんど崩壊しているが,いずれも東西に長い間口3間・奥行1間の,平坦な屋根をもつ建物である。この基壇の北の部分には,いくつかの小部屋からなる建造物がのこっている。ASIは,これらの建物群を,この部落名の起原となった,トゥグルク朝のフィーローズ=シャー時代の,サイイドゥル=フッジャーブのハーンカーとして紹介しているが,その真偽のほどは,なお検討を要するところである。しかし,これらが,デリー諸王朝時代中期に属するものであることは疑いない。第Ⅱ期。
東研.Ⅹ-17;ASI.Ⅲ-207

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