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ビジャイ=マンディル(Bijai Mandil)として知られており,ベーガンプル部落の北のはずれにある。附図.G-12
小さな城砦を思わせるマウンドの上に立つ建物群で,現在では,一部をのぞいて,ほとんど廃墟となっている。南の主要部分は,高さ約15メートルの広場となっており,その北側に,南に面する,多数の部屋をもつ大きな建造物の一部がのこっている。その屋上の西側には,望楼風の八角平面の建物がのっているが,その外壁は,つよい傾斜をもっており,八角の稜に,切石を用いているのが印象的である。内部は,十字形の平面をもつ部屋になっており,四方に入口を開いている。その平坦な屋根の上には,直径約45センチメートルの,赤い砂岩の穴が四隅に穿たれているが,それがどのような目的に用いられたものかはよくわからない。ビジャイ=マンディルというのは,勝利の殿堂を意味するヒンディー語であるが,この望楼を中心とする建物に対して,後代に与えられた俗称である。
以上に述べてきた主要部分の北側は,一段と低い広場になっているが,そこには,ほぞ穴をもった,明らかに礎石と思われる方形の石が,列をなしてのこっている。おそらくはこの場所に,かつて,柱を連ねた大広間があったのかもしれない。さらに,上に述べた望楼風の建物の北西には,ドームをいただく,外辺約16メートルの四角平面の建物があり,東をのぞく三方は,それぞれ二つのアーチを開いている。ASIは,この建物を,聖者の住居あるいはハーンカーとする推測について記しているが,それについては,なんら積極的な証拠はない。なお,この建物の周辺には,さまざまな建造物の痕跡が認められる。これらの建物群は,トゥグルク朝のスルターン=ムハンマド=シャーが,デリーの宮廷として建造したものといわれている。おそらく,ジャハーンパナーの城壁の建設と関連して,建てられたものであろう。
なお,これらの建物群の立っているマウンドの北端に,墓地をへだてて,東西に長い建造物がのこっている。この建物は,現在では,南と北とにアーチを開く五つの間と,東西両端の側室とからなる部分をのこしている。しかし,本来は,これらの側室の東西にも,さらに,アーチが連なっていたものと思われる。この建物の北面の柱や壁面が,つよい傾斜をもっているのが特徴的である。この建物に,トゥグルク朝時代の特徴がつよくうかがわれることからみれば,本来は,ビジャイ=マンディルと同時代に,関連をもって建てられたものと推定される。しかし,この建物には,デリー諸王朝時代後期の特徴を示す補修・改築のあとも認められる。ASIは,これを,ローディー朝の聖者のハーンカーであるとする推測について記しているが,あるいは,この時代になって,宗教活動に利用されるようになったのかもしれない。第Ⅱ期。
東研.Ⅷ-34;ASI.Ⅲ-272,273,274

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