DAULATABAD
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ドーラターバードは、自然の地形を最大限に使い、デカンの岩丘を利用して構築された中世南アジアにおける代表的な大城砦で、今日でもその威容は大海に浮かぶ巨船のように見るものを感嘆させずにはおかない。1327年のムハンマド・ビン・トゥグルクが企てた南征の結果、デリーについでトゥグルク第二の首都とされたが、このスルターンがデリー地域の多くの官僚や住民たちをこの地に強制移住させた事実は、この「富の町」と名付けられたデカンの大城市が同じスルターン・ムハンマドの時代に放棄されざるをえなくなった事実とともに、南アジア上著名なことがらである。(荒松雄) |
<代表史跡>
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ドゥラターバードの城砦と城壁については後で述べることとし、まずは城市のなかのジャーマ・マスジドから紹介しよう。このモスクは同市のジャーマ・マスジドとして知られてきた。そのことは今日残っている広い前庭からも推定される。このモスクは大城砦の麓の東の部分の、城市を囲む二重の城壁の中間の都市区域に造られている。東北東の近傍に広い貯水地を持ち、北北西のやや離れた地には後述するチャーンド・ミーナールの高い塔が立っており、かつてはこのあたりがドーラターバード大城市の中心的な地域をなしていたと考えてもいいかもしれない。(荒松雄) →詳しい説明 →写真一覧へ |
▲礼拝室全景 東より |
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堅固な構築物に守られたこの大城砦の城壁、城門その他の構造についてはシドニー・トイの叙述に委ねるとして、自然の地形を最大限に利用しつつ階段や墜道を造ってその頂上に設けた宮廷区域に至るまでの道をさらに堅固なものとしている工夫には、感嘆させられる。要するに、ヒンドゥーたるヤーダヴァ王国の支配層が構築し、トゥグルク朝の征服者によって受け継がれたこのデカンの大城砦は、その構図と建設の実際の点で、トイの説くように、「現存する中世の城砦のなかでもっとも強固なものの一つ」であり、世界史上、まれに見る重要な城砦、城市の史跡といって差し支えないと考える。(荒松雄) →詳しい説明 →写真一覧へ |
▲東より |
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デリーの最初期のムスリム建造物であるクトゥブ・ミーナールは、当時のジャーマ・マスジドであった俗称クーワットゥル・イスラーム・マスジドに接して造られたが、「月の塔」を意味する俗称で知られてきたこの細く高い塔は、ドーラターバードのジャーマ・マスジドからはやや離れた地点に造られている。デリーのクトゥブ・ミーナールが勝利を記念する塔であったように、このミーナールもまた同様の意味を持ってジャーマ・マスジドの傍に創建されたものといわれている。(荒松雄) →詳しい説明 →写真一覧へ |
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▲東北東より 右手にチャーンド・ミーナールを臨む |