ASNET -東京大学 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク--

ASNET関連セミナー

第26回東文研・ASNET共催セミナー「生業・移動のリズムの連動と物質文化の類似性から浮かび上がるインド洋西海域世界―新しい世界史へ向けて―」

  • 報告

【報告】第26回東文研・ASNET共催セミナー
「生業・移動のリズムの連動と物質文化の類似性から浮かび上がるインド洋西海域世界―新しい世界史へ向けて―」

第26回東文研・ASNET共催セミナーが2月3日(木)に開催されました。
以下、報告させていただきます。

日時:2011年2月3日(木)午後5時~6時
会場:東京大学東洋文化研究所 大会議室
テーマ:「生業・移動のリズムの連動と物質文化の類似性から浮かび上がるインド洋西海域世界―新しい世界史へ向けて―」
報告者:鈴木英明(財団法人東洋文庫/日本学術振興会特別研究員)

講演要旨
いわゆるグローバル化と呼ばれる状況に直面する現代において、未だ直接に見知らぬ人々の生活に自己の生活が影響を与え、逆に見知らぬ人々の生活が自己の生活に影響を与えるという状況の中で、私たちは従来の自他の境界を跨いだアイデンティティーが芽生えていることを自覚する。しかし、その一方で、自他の区別が強烈に現出するような場面もまた目の前に現れる。人間の過去を対象にし、そこから現在の私たち、さらには未来を照射しようとする歴史研究は、この現状にどのように対応しなくてはならないのだろうか。

こうした現状を直視することを避けないならば、歴史学はいま、新たな歴史像の構築に取り組まなくてはならない。その取り組み方は多様であるべきである。ある取り組みが別のそれよりも絶対的に優れることもなければ、絶対的に劣ることもない。報告者は、さまざまな「区分け」(国家、民族、宗教、人種、etc)を前提とし、それらを足し合わせて構築される現在、一般に流布する世界史像は、現状において、歴史学が克服しなくてはならないその際たるものとして考える。これを克服しようとする場合、これもまた、取り組み方は様々であるが、報告者は、こうした「区分け」を超越し、これまで人々が繋がりあっていた姿を、現代の我々がグローバル化を肌で感じているように実感できる歴史像を模索するべきだと考えている。

そのうえで、報告者はインド洋海域という海を中心とした歴史に着目する。海を中心とする歴史像には様々な利点があるが、そのひとつは、国家や民族といった「区分け」によって書かれてきた「陸の歴史」から一定の距離をおき、考えることが出来るというものである。ただし、現状のインド洋海域史研究は、「陸」に対する「海」という視点を強調するがために、足し算としての世界史に、従来欠け落ちていた「海」という項を提供する結果になっており、これでは「区分け」を超越した歴史像の構築に寄与するどころか、逆に従来の足し算に新たな項を提供してしまっている。ここまで述べてきたことを踏まえて、「区分け」を超越した新しい歴史像の事例研究として、インド洋西海域世界というものを提示した。内容の詳細については、現在、論文にまとめている最中なので、ここで述べることは避け、ごく簡単に述べるにとどめる。

インド亜大陸西岸からアフリカ大陸東岸に拡がるインド洋西海域を特徴付ける季節風モンスーンは、長距離航海の時期を定めるものとして着目されてきた。事実、各地の港町の記事を俯瞰してみると、各地の港町は長距離航海の船舶の寄港と出港とに連動して、その人口が増減する。各地の港町の人口の増減を動画的に再現すれば、インド洋西海域周辺の港町の人口の増減が連動し、それはあたかも全体としてリズミカルな鼓動を打っているようにみえる。ただし、この現象は決して、従来の研究がこの海域を語る際に焦点を当ててきた長距離航海だけにゆだねられるものではない。むしろ、視野を拡げて陸上の輸送者や短距離航海者に着目してみると、各地の生産活動や移動・交換のリズムもまたこの鼓動を形成する要因となっている。このようにしてみると、生業・移動・交換のリズム(=生活のリズム)が連動する人々の総体として一群の人々が現出してくるのではないか。これをインド洋西海域世界と呼ぶ。その場合、インド洋西海域の長距離航海者は地理的にその連動の中心にいるが、それだけがリズムの原動力ではない。また、このリズムはアフリカ大陸やインド亜大陸の内陸部まで鼓動している。

これを基にして、こうした生活のリズムの連動が個々の生活に何をもたらすのかという観点でみてみると、生活文化の類似性・共通性が挙げられる。たとえば、先述のリズムのなかで交換され、流通したマングローブ材はそれが豊富にあるアフリカ大陸東部沿岸だけでなく、建材に使える木材の少ないアラビア半島周辺で広く受容されたが、それによって、双方の地域では住空間の規格の類似性が生まれた。また、塩干し魚は安価な動物性蛋白源及び塩分の供給源として、インド洋西海域の沿岸部のみならず、塩の獲得の難しいアフリカ大陸内陸部でも広く受容され、それを受容する人々の間の共通する味覚となっていった。このように、リズムに乗りながら拡がる物質が育む生活文化の無数の共通性や類似性がそれぞれの流通圏を形成しつつ、重なり合いながら存在した。その重なりを鳥瞰したときに浮かび上がってくる生活文化に共通性・類似性を持つ人々の総体としても、インド洋西海域世界は浮かび上がってくる。ただし、ここで注意したいのは、それぞれの生活文化の共通性や類似性は、それぞれがぴったり重なってはいない。つまり、生活のリズムの連動は、画一的な生活文化の共通性や類似性を生み出していない点である。たとえば、マングローヴ材はアフリカ大陸内陸部では建材として用いられないが、塩干し魚の受容という観点では彼らはインド洋西海域沿岸の人々と共通する。

こうした2つの観点を重ね合わせて浮かび上がってくる人々の総体をインド洋西海域世界とするとき、それは、明確な境界線を持たない。つまり、「区分け」を作り出すことにはならないはずである。そして、この海域世界を構成する人々のこの世界への参画度合いは、画一的ではない。長距離航海者のように、より参画度合いの高い人もいれば、アフリカ大陸内陸部の人はそれと較べれば参画度合いは低いといえる。おそらく、アフリカ大陸内陸部のこの海域世界に参画する度合いの低い人々は、別の生活のリズムの連動と生活文化の類似性・共通性から浮かび上がる「世界」にも参画しているのだろう。このように人々を捉えていった時、異なる場所に生きた人々の過去ははより動的に、そして、よりなだらかに繋がりあって見えるのではないだろうか。

以上のように、本報告は歴史学的アプローチによるものであったが、質疑応答では人類学や民俗学といった分野からの貴重な意見を頂戴できた。たとえば、取り上げる事例に偏りはないのかといったものや、交通革命は生活のリズムの変化にどのような影響を及ぼしたのかといったもの、あるいは、グローバル・ヒストリーの範疇に収められるような他の「新しい世界史」を標榜する研究との相違などである。どのコメントや質問も意義深く、様々な分野の人々が参加するこのセミナーならではの刺激を受けられたと報告者は感じている。
[鈴木英明]