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キーロクリー東南の遺壁とよぶ。ハズラト=ニーザムッディーン鉄道駅から東南約1.6キロメートルの,キーロクリー部落の東南約700メートルにある。附図.J-10
ほぼ南北に走る土堤の一部に,断続的に,城壁らしい構築物の痕跡がのこっており,そのなかに,きわめてわずかの部分であるが,切石積みが認められる。また,この附近には,礎石や柱頭の断片が散在しているので,かつて,なんらかの建造物が存在したことは,疑いをいれないところである。この石積みは,デリー諸王朝時代初期の特徴を示しているようにも思われる。また,附近には,キーロクリー(Kilukhri)の名をのこす部落がある。したがって,これまでも二,三の異説はあるが,あえて推測を試みれば,この遺跡は,奴隷王朝末期に,宮廷の所在地として,一時,著名な場所となり,その後もつづいたキーロークリー(Kilukhri)の廃嘘であるという推論も,あるいは可能であるかもしれない。
東研.Ⅲ-21

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