用語解説2:墓建築

墓建築とは..
墓建築の機能
墓建築の構成要素
世俗権力者の墓
聖者廟とダルガー
生きているムスリムとの関係
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■墓建築とは...

 人間の死および死後の世界についての考え方は、宗教の儀礼や建築と深く関わっている。まずイスラームの死生観を概観してみよう。現世での生活をおくるムスリムにとって、神の意志によって死の天使がつかわされ、人間の体から霊魂をぬきとることによって死がおとずれる。死者は最後の審判をまつ状態へと突入し、墓がそのあいだの待機の場となる。現世は天使のふくラッパがつげる終末をもっておわり、復活の時がおとずれる。死者はすべて墓からおきあがり、神の前にひきだされ最後の審判をうける。各人の信仰や行為が記載された帳簿により、天国あるいは地獄にいくことがきまる。来世では、そこでの生活が永久につづく。天国は現世において敬虔なる生活をおくった人々の終の住処となるところで、あふれる泉としたたる緑の楽園で平安なくらしをおくり、神をみることもできるという。一方地獄は不信仰者のいくところで、そこなしの穴にうずまく炎の中で永劫の責め苦をうける。すべては唯一絶対なる神の被造物であるが、神が土から創造したという人間と神のあいだに介在する中間的存在として、光から創造された天使、火や焔で創られた悪魔がおり、死、最後の復活、来世という過程で様々な役割を担う点も興味深い。

■墓建築の機能

 本来コーランにおいては、人間は死に際して、遺体は土葬され、顔面をメッカに方向にむけて葬られることをよしとする。墓を華美にかざりたてることや墓参りをすること、ましてや墓石上に建物をつくることなどは本来はかたく禁じられている。しかしながら、墓の覆屋たる墓建築は、上記のような矛盾をふくみつつ各地で発展し、イスラム建築の顕著な特質のひとつとなる。すべてのムスリムの墓は葬られらた死者にとっては最後の審判を待機する死後の仮のすまいとしての意味をもつだけである。しかしながらおもしろいことに、現世に生きるムスリムたちにとって廟建築は被葬者の別、すなわち聖者廟と世俗権力者廟によって、現実のイスラーム社会において異なった機能をはたすようになる。

■墓建築の構成要素

 まず、聖者廟にも世俗権力者廟にも通じる墓建築の構成要素からたどってみよう。遺体は地中にほうむられる場合と地下の玄室に保管される場合がある。地上には通例では棺型の墓碑(セノタフ)がおかれる。これをおおう形態としてもっとも一般的なのが正方形平面にドームをいただくキャノピー墓である。規模はさまざまで各地にみられる。インドでは壁体の上にドームを載せる形式のほかに、12柱式の建築を墓として用いることも多い。よりモニュメンタリティーを高めた形として、平面を8角形としドームをいただく八角形の墓建築がある。それほど例数はおおくないけれども、イスラムの聖域(ハラム)のひとつである岩のドームとも共通する形態で注目に値する。特にインドでは岩のドームと同様に8角形の墓建築に周廊を回した形態がデリーとササラムにある点に注目できる。よりたかい塔状建築をたてるものは、平面を円形あるいは多角形とし錐状屋根を頂き墓塔とよばれている。あたかも天をめざすようなこの形態は、11世紀のトルコ族のイスラーム世界への侵入の経路上にあらわれる形として注目できる。なぜか、インドにおいては墓塔建築は好まれなかった。これらの墓自体の覆屋を中核としていくつかの諸室や周廊、中庭などがくわわり、大建築となるものもあらわれる。インドでは多数の墓建築が建設され、その形態も大きく発展した。特に、グジャラート地方で墓建築城のドームを周廊が囲み、多重の周廊が囲む例も現れる。またムガル建築ではタージ・マハルのように墓室の4隅に部屋を設けてより複雑化させた例も現れ、庭園建築との融合もテーマとなる。このように、インドのイスラーム建築は墓建築の宝庫である。

■世俗権力者の墓

 世俗権力者をほうむった墓建築は、被葬者が生前に計画、着手したり、後継者が被葬者の死の直後に建立する。その際に、死後の宮殿を意図するモニュメンタルな形態が建築の主眼となる。地域や時代、各王朝によって、廟建築には個人墓や家族墓、王家の墓地などさまざまな墓制がみられるが、血族の何人かが併葬されることが多いようである。また、墓の永遠性が建設の主題となるために、モスクやマドラサなど他の公共建築と併設されることもおおい。ただし、世俗権力者が必ずしも墓建築を造営するわけではなく、オーラングゼブ帝のように墓石だけの簡素な墓に葬られる場合や、聖者廟の中や近くに併葬されることもある。これらの墓は、権力者の家系が継続している間は墓参りの儀礼がおこなわれていたようであるが、増改築がくわわることは稀で当初の建築形態が維持され、現状においては維持する人もなく単に建築だけがのこっている場合もおおい。

■聖者廟とダルガー

 それにひきかえ聖者廟は、聖者の死の直後に建設がなされる場合よりも、かなり年数が経過してから、時には数百年後に廟が造営され、その後も増改築をかさね、今日においてもなお民衆の崇敬を集めていることがおおい。特にインドではダルガーと呼ばれる聖者廟複合体が数多く作られ、民衆の信奉を集めている。聖者とは常ならぬ力を有する人で、人々の願いを神にとりなすことができる人物であるとされ、死して後にもその神からあたえられた霊力(バラカ)をはなつがゆえに、墓が崇敬の対象となり、多くの人々、特に多くの女性が参詣におとずれ願をかける。聖者廟も教団(タリーカ)の本拠の中核となるような大規模かつ有名なものから、人知れぬちいさな祠までさまざまである。民衆は死してなお死せる聖者から放出されるバラカをうけることをねがい、聖者廟の周囲に広大な墓地がつくられることもある。インドに樹立された安定したイスラーム政権のもとでは、中近東から多くのムスリムの商人や学者層が渡印した。インドにおける民衆へのイスラームの布教は学識者層としてのウラマーに比し、神秘主義教団にぞくするスーフィーが担った部分がおおきいとされる。北インドを中心に活動した著名な教団として、チシュティー派とスフラワルディー派がある。前者は権力者との接触をさけ民衆の教化にはげんだのにくらべ、後者は積極的に権力者との接触をおこなった。これらの教団のシェイフが代々葬られた聖者廟は教団の本拠地であるとともにダルガーとよばれる。大規模な教団以外にもインド各地に聖者を葬った聖者廟があり、ダルガーと呼ばれ、多くの民衆信仰をあつめ、ヒンドゥー教との混交の諸相さえもみられる。

■生きているムスリムとの関係

 先にものべたように、コーランにおいては墓場は不浄の場であり、礼拝することは禁じられている。それにもかかわらず、ムスリムの墓地にはかならずといってよいほどモスクがあり、墓建築にモスクが併設されることもおおく、モスクの中に墓がほられていることさえある。また聖者廟には参詣者がたえず、聖地として町をなすことさえあり、世俗権力者廟は公共建築と併設されたり、広々とした庭園をともなうこともおおく、墓建築と生きているムスリムとの深い関係が指摘できる。はたして、墓地や墓はイスラーム社会において現代の日本人がいだくように死臭がただよい忌みきらうような場所であったのだろうか。むしろ、イスラームにおいては死が消滅を意味するわけではないことからも、死者はいきる人と深いつながりをもち、墓も民衆の墓参りという宗教的娯楽を展開するイスラーム都市における一種のオープン・スペースとしてとらえていくべきだとおもわれる。


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