『紀要』第137冊要旨


『紀要』第137冊 吉開将人 「印からみた南越世界——嶺南古璽印考(中篇)」要旨
『紀要』第137冊

吉開将人 「印からみた南越世界——嶺南古璽印考(中篇)」要旨

 中国海南省で発見された「朱盧執圭」銀印は、その形状が内地の秦漢両朝の官印とは異なり、南越王墓発見の「文帝行璽」金印と相似する。「執圭」は秦漢交替期に認めることができる禁制の爵位だが、秦漢交替期の一連の楚政権が海南島にまで勢力を及ぼしたとは考えにくく、印の特徴からもこの時期にさかのぼる可能性はない。この秦漢交替期から漢初の時期にかけては、東南中国の越系の諸勢力が広く禁制を採用し、内地の王朝交代に際して積極的に活躍していた。南越国の成立がその延長線上にあることを考えるなら、この時期に禁制が南越王権の中にも受容され、以後、漢制とは別の役割を担ったという解釈が可能である。事実、南越王墓の副葬品の配置や構成からも、漢制とならぶ禁制の存在が確認できる。「朱盧執圭」銀印は南越王権による封爵印と考えるべきである。
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『紀要』第137冊 大塚秀高 玉皇廟から永福寺へ——『金瓶梅』の構想(続)要旨
『紀要』第137冊

大塚秀高 玉皇廟から永福寺へ——『金瓶梅』の構想(続)要旨

『金瓶梅』の版本は詞話本、崇禎本と崇禎本に張竹坡が評を附した竹坡本に分かれる。詞話本から崇禎本への改訂は相当の規模に及ぶが、その背後にある改訂者の意図についてはこれまで論じられてこなかった。本論はそれを詞話本が備えていた武王伐紂の構想の明示に加え、道教を象徴する潘金蓮と玉皇廟から仏教を象徴する呉月娘と永福寺への流れの明確化にあると指摘し、張竹坡はそれ相当程度理解していたとした。
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『紀要』第137冊 大木康 「冒襄『影梅庵憶語』訳注(二)」要旨
『紀要』第137冊

大木康 「冒襄『影梅庵憶語』訳注(二)」要旨

明末清初の文人冒襄の『影梅庵憶語』全文の校訂、翻訳、注釈。『影梅庵憶語』は、早世した冒襄の側室、董小宛の思い出を綴った記録である。これはその第二部。まずは、冒襄が董小宛とともに訪れた金山、嘉興その他名勝の記録。ついで、冒家における彼女の様子。小宛はつねに控えめで、姑につかえ、正妻蘇氏を立てた。以下、学問芸術の分野における小宛の能力について。小宛は、全唐詩集の編纂を志していた冒襄の仕事を助け、また女性に関わる文献資料を集めた。書画、茶、香などについても、一流の腕前を持っていた。
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『紀要』第137冊 松岡俊裕「魯迅の祖父周福清攷(十一)——その家系、生涯及び人物像について——」要旨
『紀要』第137冊

松岡俊裕「魯迅の祖父周福清攷(十一)——その家系、生涯及び人物像について——」要旨

 (十一) は第八章「事件の影響」。第一節「他氏への影響」:事件に因ると見られる死者は,周家以外に全部で八人いる。第二節「周家への影響」:不正事件に関与した文郁は,先ず田舎に避難し,その後帰宅して自首し,逮捕された。長孫の魯迅と二孫の周作人は,避難のために母親魯氏の実家に連れて行かれた。文郁が釈放されて帰宅した後,鳳升は妾潘氏と共に杭州に住み福清の世話をした(のちに作人に交替)。第三節「家族、族人、姻戚の病気と死」:文郁は発病して,阿片を吸い始め,光緒廿二年逝去。文郁以外に,幾人かの家族、族人、親戚が,発病し,或いは発狂し,或いは死亡している。第四節「経済的没落」:周家は文郁の病と死に因って更に没落し,魯迅と周作人は南京の洋務学堂に行って学習するほかなかった。一族の者が咸亨酒店を開設したが,これも恐らく不正事件と関係があるのだろう。
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『紀要』第137冊 井坂理穂 「The Constrcution of Gu.jarati Identity in the Late Nineteenth Century:Debates over Language,Literature and History」 要旨
『紀要』第137冊

井坂理穂 「The Constrcution of Gu.jarati Identity in the Late Nineteenth Century:Debates over Language,Literature and History」 要旨

本稿は、19世紀後半にインド西部・グジャラートの都市エリート層が、「クジャラート人」という地域アイデンティティを主張し、グジャラートの言語・文学・歴史が何であるかを論じながら、ある固定的なグジャラート像を確立しようとした過程を分析したものである。そこでの問題関心は、植民地インドのエリート層の間で、地域を基盤とした自らの「コミュニティ」を意識し、その権利を主張する動きがどのようにして起こったのか、それがインドのナショナリズム形成はいかなる意味をもったのかという点であった。ここで取り上げたグジャラートのエリート層の例では、彼らがこの地域を特徴づけるものとして商人文化・商業伝統を強調した点が際たっており、これは今日に至るまで影響を及ぼしている。
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『紀要』第137冊 上村勝彦 「ラージャシェーカラ作Kaavyamiimaa.msaa訳注(第1章—第3章)」要旨
『紀要』第137冊

上村勝彦 「ラージャシェーカラ作Kaavyamiimaa.msaa訳注(第1章—第3章)」要旨

 ラージャシェーカラのKaavyamiimaa.msaaはサンスクリット文学における独創的な詩論書であり、後代の詩論家たちに大きな影響を与えた。18章よりなるが、この回は、その第1章から第3章までを訳出する。第1章ではこの詩論書の内容を示す。第2章では種々の学術書(.caastra)が列挙され定義されている。作者は詩学の重要性を説く。第3章では詩の原人(Kaavyapuru.sa)の神話が物語られる。
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『紀要』第137冊 金漢益 「生天と涅槃の関係:仏教文化史の視点から」要旨
『紀要』第137冊

金漢益 「生天と涅槃の関係:仏教文化史の視点から」要旨

 初期仏教のパーリ語の経典には、宗教レベルにおいて二つの実践タイプがあることをいっている。第一はインド仏教伝承において功徳をつみ、死後に安楽な世界(天界)に生まれることを望む観念である。これらは世間レベルの善行である。今一つは精神性の高い宗教レベルにおいての梵行の実践により涅槃を目指す出世間レベルの善行であるる。
生天思想は原則として在家信者に対する教えであり、出家比丘にとってはむしる束縛であるから、梵行による涅槃を望むのは最上の善行であることを教示した。しかし初期仏典自体の記述から涅槃は次第に修行者たちにとって遠いものとなった。即ち全ての比丘たちが涅槃を得ることが難しくなり、比丘の生天を現実に説かれ機能していた。
そこでバーリ仏典に現れる天界を検討し、あくまでも文化史的な前場から天界の機能と発展の様相を涅槃との関係を中心に探求した。
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『紀要』第137冊 今村弘子 「中国と韓国の経済関係」 要旨
『紀要』第137冊

今村弘子 「中国と韓国の経済関係」 要旨

中国と韓国貿易関係は70年代末から香港などの第三国を経由して行なわれていた。また韓国企業の対投資は80年代後半から始まった。中韓の経済関係は92年の国交樹立によって一層発展することになり、90年代半ばにはお互いが各々の貿易相手国のなかでトップ5こ属するようになった。もはや中韓両国は特別な相手ではなくなったが、問題も出始めている。95年には「中国がくしゃみをすると韓国が風邪をひく」という状況にさえなった。さらに97年秋以降アジアの経済危機が韓国に及んだために、中韓貿易も影響をうけるようになった。中国の対韓輸出が減少し、また韓国の対中設資も減少していった。また中韓は米国や日本において競争状態にある。繊維製品などはすでに韓国内で斜陽産業となっており、日米市場で中国製品が大きなシェアを占めていても、仕方がないが、問題は電気製品や一般機械などでも、すでに中国の競争力が韓国のそれを上回っていることである。
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『紀要』第137冊 金鳳珍 「兪吉濬の国際秩序観:朝貢体系と国家平等秩序の間」」 要旨
『紀要』第137冊

金鳳珍 「兪吉濬の国際秩序観:朝貢体系と国家平等秩序の間」」 要旨

兪吉濬(1852-1914)の国際秩序観を、その転換の背景、国家平等観念の導入、国家間関係の現実への認識と批判に分けて考察する。「開国」後の朝鮮は—日清戦争まで—朝貢体系と欧米国際体系との二重体系の下におかれていた。その問、朝貢体系は「近代的に」変質していた。この二重体系を、「両裁躰制」とし、その矛盾を批判する。また「属国」批判。これは、朝貢体系の「属国」のみならず、欧米国際体系の植民地の存在への批判を意味する。一方で、国家平等観念を伝統の万国平均観念に基づいて理解し、天賦国権の発想による主権平等論を展開する。彼の「万国平等秩序」、つまり両国際体系の負の側面を止揚した新しい国際秩序の構想である。
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