『紀要』第134冊要旨


『紀要』第134冊 大塚秀高 関羽と劉備——関羽像の成立過程 要旨
『紀要』第134冊

大塚秀高 関羽と劉備——関羽像の成立過程 要旨

『三国演義』の関羽は皇帝でも偏覇でもないにもかかわらず剣神として形象されている。これはなぜか。本論は漢帝外孫を称し、劉備の蜀漢を継いで漢を再興したとする匈奴の劉淵の『晋書』などにみえる形象が『三国志平話』の関羽像に投影されたこと、そもそも劉淵の形象自体『三国志』とその裴注に引かれる文献に記される関羽像の影響を受けたものである点などを論じたもの。なお閻家仁・董皓の訳が「関羽和劉淵—関羽形象的形成過程—」と題し『保定師専学報』2001-1に載っている。24〜30P
 
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『紀要』第134冊 熊谷滋三 「前漢における「蠻夷降者」と「歸義蠻夷」」要旨
『紀要』第134冊

熊谷滋三 「前漢における「蠻夷降者」と「歸義蠻夷」」要旨

前漢では「蠻夷降者」を典属国が、「歸義蠻夷」を典客(後の大鴻臚)が管掌した。「蠻夷降者」は漢の身分秩序のなかに位置づけられ内臣として扱われるもので、「内属」を含む「降」は理論的には漢人となることを意味した。一方、「歸義」は本来「外の者が君主の正義に帰服する」ことで、漢朝への従属的行為すべて(「降」を含む)を指す広義の用法と、「客」身分となる従属行為を指す狭義の用法があり、狭義の「歸義」者は就官・従軍し功によって内臣に転化しうる特殊な身分であった。前漢では、まず典客が広義の「歸義」に対応し、「降者」と認定された者は典属国に移管されたが、後に「降者」と狭義の「歸義」者の処遇に共通点が生じた結果、成帝河平元年に典属国は大鴻臚に吸収された。
 
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『紀要』第134冊 松岡俊裕「魯迅の祖父周福清攷(九)——その家系、生涯及び人物像について——」要旨
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松岡俊裕「魯迅の祖父周福清攷(九)——その家系、生涯及び人物像について——」要旨

 (九) は第七章「科挙不正事件」全五節中の前三節。第一節「光緒十九年癸巳恩科浙江省郷試」:「試験実施要員」、「問題」、「及第者名簿」を紹介した。第二節「公的資料より見た事件の経緯」:光緒皇帝は,刑部の情状を酌量した判決案(杖刑一百,流刑三千里)を否決し,執行猶予付きの斬刑(斬監候)判決を下した。その結果,福清は杭州府獄に収監される身となった。第三節「事件当時の反響」:事件としては比較的規模の小さいものであったが,皇帝自ら調査を命じて判決を下した「欽案」であったこと,大方の予想に反して皇帝が刑部の温情判決案を否決したこと,更に上海の日刊紙『申報』によって随時報道されたことなどのために,一時かなり広範囲に亙って世間の注目を浴びることとなった。
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『紀要』第134冊 新谷正彦 「タイとインドネシアの経済発展化の農業部門における過剰就業」 要旨
『紀要』第134冊

新谷正彦 「タイとインドネシアの経済発展化の農業部門における過剰就業」 要旨

タイとインドネシア両国の農業部門における低所得の原因を、農業部門における労働の過剰就業に求め、その存在の数量的確認を試みた。
まず、両国の農業部門の生産関数をお計測した。その労働の生産弾性値を用いて労働の限界生産物を推定した。
次に、労働の限界生産物の推定値と賃金率とを比較することにより、両国の農業部門における過剰就業の存在を確認しれ
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